山代地方の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 22:32 UTC 版)
山代地方は、周防国の東端、安芸国との国境に位置する。戦国時代には大内氏の支配下にあったが、実際には刀禰と呼ばれる有力地侍達による自治が行われていた。その後、毛利氏の大内氏領への勢力拡大に伴い、弘治2年(1556年)頃には毛利領となる。この際に成君寺城の戦いが発生し、山代の地侍達は大内方と毛利方に別れて戦っている。 慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで西軍に加担した毛利氏は、中国地方8カ国120万石から防長2カ国29万石へと減封となるが、山代地方は毛利氏の支配が続くこととなった。
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