山中敦史 (サッカー選手)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/29 05:39 UTC 版)
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名前 | ||||||
愛称 | アツ、アチ | |||||
カタカナ | ヤマナカ アツシ | |||||
ラテン文字 | ATSUSHI YAMANAKA | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1992年7月22日(32歳) | |||||
出身地 | 大阪府寝屋川市 | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 79kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ![]() |
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ポジション | DF / MF | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
2005-2007 | ![]() |
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2008-2010 | ![]() |
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クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2012 | ![]() |
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2013 | ![]() |
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2014 | ![]() |
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2014 | ![]() |
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2015 | ![]() |
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2016-2017 | ![]() |
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2025- | ![]() |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
山中 敦史(やまなか あつし、1992年7月22日 - )は、大阪府寝屋川市出身のサッカー選手。ポジションはサイドバック(SB)とボランチ(MF)。現在はコロンビアリーグ、ラ・コパトリンチェ(3部)のインデペンディエンテ ボゴタに所属。
来歴
小学1年生の時に友人の誘いを受けてガンバ大阪門真ジュニアスクールに通い、サッカーを本格的に始める。同クラブでジュニアユースに上がり、中学3年生までプレーした。高校時代は枚方市の枚方フジタSCでプレー。
高校卒業後、パラグアイに渡り4部のクラブ・アトレティコ・フヴェントゥでプレーする[1]。退場した出場停止の試合を除く全試合に左サイドバックのレギュラーとしてフル出場した。その後,2部のヘネラル・カバジェロSCや、クラブ・リーベル・プレート、インデペンディエンテFBCなどでプレーした[1]。
その後、2015年ドミニカ共和国ではクラブ・アトレティコ・パントハの練習に参加した後、CAサン・クリストバルの練習に参加。練習試合で結果を残し、同クラブと契約することを決めるが、リーグ開幕前に監督が2度も解任されて契約ができるのかできないのか微妙な立場になるという憂き目に会う。会長や強化部の誘いもあり、2015年3月6日、プロ契約を結び、サンクリストバルではチームメイトのコロンビア人選手とハイチ人選手とルームシェアで生活した。デビュー戦となったホームの開幕戦の試合ではベンチスタートで後半25分から途中出場した。激しいマークやラフプレーの洗礼を受けた。次のアウェイ戦では先制ゴールを決めたものの1-1で引き分けた。翌日の新聞では「ドミニカ共和国で初めてゴールを上げた日本人」として大きく取り上げられ、注目を浴びた。
2016年4月、単身でコスタリカに渡り、1部のCFウニベルシダ・デ・コスタリカに練習生として参加するが契約には至らなかった。その後、2部のCSウルグアイ・デ・コロナドに練習生として参加し、練習試合でのプレーが評価され、2016年7月9日に契約した[2][1]。
その後コロンビアに渡り、コルトゥルアなど1部および2部の複数クラブの練習に参加するも正式契約には至らず、2018年に現役引退[1]。
引退後はスペイン語通訳やサッカー動画クリエイターとして活動している。
2024年12月にベネズエラの2部のヴィヒアFCの練習生として参加。[3]しかし監督とクラブ首脳陣の補強選手の意見の食い違いで契約ならず。[4]
2025年2月にコロンビア3部のインデペンディエンテ ボゴタで現役復帰。念願のコロンビアリーグでプレーする日本人サッカー選手になることを達成する[5][6]
エピソード
中南米(パラグアイ、ドミニカ共和国、コスタリカ、コロンビア)でプレー経験があるためスペイン語が話せる。また多くのラテンアメリカ出身の選手達との繋がりがたくさんある[7]。
パラグアイ代表選手とは親交が深く、サルバドール・カバニャスとはヘネラル・カバジェロ時代のチームメイトで、FC東京でプレーしていたササ・サルセードや元パラグアイ代表DFデニス・カニサ、クリスティアン リベーロスとは今でも連絡を取り合う仲である。
2022年カタールW杯のコスタリカ代表で第2戦の日本戦でゴールを決めたDFケイセル・フレールとはコスタリカのウルグアイ デ コロナドでチームメイトだった。[8]
コロンビア代表選手達とも繋がりがあり、カルロス サンチェス、ファン キンテーロ、クリスティアン サパタなどと親交がある[9]。
コロンビアでバランキージャのラジオ局の前を通りかかった時に生放送中のDJから話しかけられて急遽番組に出演することになり、さらにカルロス・バルデラマが好きで会えたら最高だと答えたところ、バルデラマと親しいプロデューサーが連絡を取り、バルデラマが20分後にスタジオまで駆けつけて共演が実現した[1]。
2018年ロシアW杯でコロンビア代表と同じグループになり、日本代表の分析担当者が情報を求めて連絡があった。[10]
関連項目
脚注
- ^ a b c d e 福岡吉央 (2019年3月16日). “コロンビアでバルデラマと“共演”した日本人DF 中南米を渡り歩いた波瀾万丈のキャリア”. Football ZONE. 2021年11月4日閲覧。
- ^ Jaime Lopez (2016年7月16日). “Despite Robbery, Japanese Midfielder Signs With Costa Rica Club”. The Costa Rica Star. 2021年11月4日閲覧。
- ^ “『ベネズエラのプロサッカークラブに練習参加』”. 山中敦史 Official Blog. 2025年4月21日閲覧。
- ^ “『監督と強化部の意見の食い違い』”. 山中敦史 Official Blog. 2025年4月21日閲覧。
- ^ “『コロンビアで現役復帰!』”. 山中敦史 Official Blog. 2025年4月15日閲覧。
- ^ “『コロンビアのサッカーチームに入団!!』”. 山中敦史 Official Blog. 2025年4月29日閲覧。
- ^ “『バルデラマとイギータ』”. 山中敦史 Official Blog. 2025年4月21日閲覧。
- ^ “『コスタリカでチームメイトだったフレール』”. 山中敦史 Official Blog. 2025年4月29日閲覧。
- ^ “『カルロス サンチェスからの電話がきっかけで』”. 山中敦史 Official Blog. 2025年4月15日閲覧。
- ^ “W杯コロンビア戦“金星”と日本人DFの“アシスト” ライバル国から見守った歴史的瞬間”. www.football-zone.net (2019年3月22日). 2025年4月29日閲覧。
外部リンク
- 山中敦史 (@achiyamanaka27) - X(旧Twitter)
- 山中敦史 - Ameba Blog
- アツシが教えるスペイン語【アツスペ】 - YouTubeチャンネル
- 山中敦史_(サッカー選手)のページへのリンク