山中昌福とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 山中昌福の意味・解説 

山中昌福

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/27 06:05 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

山中 昌福(やまなか まさとみ、生年不詳 - 1832年12月14日天保3年11月23日))は、日本の江戸時代庄屋出雲国の戦国武将山中幸盛の子孫。山中常耀の長男、母は不詳、または好助、猪右衛門とも称した、通称は(8代目)吉和屋彌右衛門と称した。長女は、お津禰(おつね)。

墓所は広島市佐伯区の光禅寺境内山中家墓地にあり、法号は釋日転淨輪信士。

生涯

寛政3年(1791年)12月6日に父である山中常耀が没したために家督を相続し(8代目)吉和屋彌右衛門と称して、事業を継承し塩浜経営に専念した。夫妻には男子が無かった為、長女のお津禰(おつね)に婿養子を迎えた。

山中常諦以降の歴代の吉和屋(山中家)の当主は吉和屋彌右衛門の通称を継承し塩浜経営を行ったが、江戸後期に入ると塩田不況により、有力な浜主も塩浜をやむなく手放さざるを得なくなり、海老塩浜の塩浜も衰退していき、天保年間には吉和屋(山中家)は塩田不況の影響により塩浜経営に失敗し、多額の借金を背負ったために没落への道を辿る事になった。

江戸時代後期に安芸広島藩が総力を挙げて編纂した書物「芸藩通志55巻」の安芸佐伯郡古家の項に「海老塩浜山中氏、先祖孫右衛門某、山中鹿之助幸盛が女を娶り、草津村に住す、裔孫、海老に移り、数代里職たり、孫左衛門より、今好助に至る九世」とあるが、9世好助とは、山中昌福(8代吉和屋彌右衛門)の事である。

参考文献

  • 広島県立文書館『山中家文書展パンフレット』平成19年(2007年)

関連項目


先代:
山中常耀
山中氏歴代当主
1791年 - 1832年
次代:
山中お津禰



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  山中昌福のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「山中昌福」の関連用語

1
山中常耀 百科事典
32% |||||

2
山中常祐 百科事典
12% |||||

検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



山中昌福のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの山中昌福 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS