小野寺章 (政治家)とは? わかりやすく解説

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小野寺章 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/12 01:27 UTC 版)

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小野寺章

小野寺 章(おのでら あきら、1884年明治17年)12月10日[1] - 1935年昭和10年)2月3日[2])は、日本の衆議院議員立憲政友会)、実業家弁護士

経歴

岩手県東磐井郡黄海村(現在の一関市)に小野寺治平の二男として生まれる[3]1909年(明治42年)、明治大学を卒業。卒業後は「刑法研究会」をおこして、研究調査に励んだ[3]1913年大正2年)、弁護士試験に合格し、法律事務所を開いた[3]。また日本林産株式会社を創業して取締役に就任し、さらに京浜窯業株式会社の監査役も兼ねた[3]

1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第17回第18回と当選を重ねた。その間、東北振興会幹事として、昭和東北大凶作昭和三陸地震の救済に尽力した[4]

脚注

  1. ^ 衆議院『第五十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1928年、21頁。
  2. ^ 『官報』第2426号、昭和10年2月5日
  3. ^ a b c d 『東京弁護士名家録』
  4. ^ 故小野寺章位記追賜ノ件

参考文献




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