小西昭之とは? わかりやすく解説

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小西昭之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/31 04:51 UTC 版)

小西 昭之
生誕 日本長野県
教育 東京大学
職業 毎日新聞記者
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小西 昭之(こにし あきゆき、1931年4月7日 - 1994年8月1日)は、日本ジャーナリスト

来歴

長野県出身。長野県松本県ヶ丘高等学校[1]東京大学教養学部教養学科卒業後[2]1955年毎日新聞入社。イギリス留学(ロンドン大学政治経済大学院修了)、外信部記者、ロンドン特派員を経て、北米総局長、外信部部長を歴任。

人物

縣陵新聞部時代(1949年1951年)、小西が部長を務めた1950年の中日新聞社主催全国新聞コンクールで第2位、 1951年の朝日新聞社主催全国新聞コンクールで第3位の成績を残している[3]

著書

  • 『CIAの逆襲―ドキュメント「パーレビ復権」 イラン1953年 (1980年) カーミット・ルーズベルト』対訳 (毎日新聞1980/12)
  • 『昨日の英国・明日の英国 (異文化を知る一冊 E 50) 』(三修社1983/12)
  • 『消された飛行艇 (1981年) ロナルド W.ジャクソン』対訳 (毎日新聞1981/7)
  • 『大英帝国は二度死ぬか (1976年) (特派員の目) 』(毎日新聞1976/9)

脚注

  1. ^ 松本県ヶ丘高校同窓会愛のリレー 高校第3回縣陵三陵会
  2. ^ [P108.参照『昭和55年度会員録 長野県松本県ヶ丘高等学校同窓会』 - 社団法人 長野県松本県ヶ丘高等学校同窓会/編(1980.2)]
  3. ^ [『縣陵新聞30年の歩み』(縣陵新聞部編/1976)閲覧]

参考文献

外部リンク




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