小禄朝奇とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 小禄朝奇の意味・解説 

小禄朝奇

(小禄王子朝奇 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/27 10:21 UTC 版)

小禄 朝奇(おろく ちょうき、1676年11月9日康煕15年10月4日) - 1721年5月3日(康煕60年4月8日))は、琉球王国王族第二尚氏王統・第11代尚貞王の三男で、具志頭御殿の元祖。正式には小禄王子朝奇。

唐名は尚綱、童名は思樽金。母は真壁按司加那志(号・慈恩)。1705年から1712年まで、尚貞王、尚敬王摂政を務めた。朝奇の次男・朝孝は大宜見御殿の養子となり、三男・真壁按司朝盈は尚貞王継妃・真壁按司加那志の養子となり、真壁御殿を興した。1721年死去、1738年に末吉の墓(現在の宜野湾御殿の墓)に移葬された。

脚注

参考文献

  • 那覇市市民文化部歴史博物館編『氏集 首里那覇』第五版 那覇市市民文化部歴史博物館 2008年
  • 沖縄県氏姓家系大辞典 編纂委員会『沖縄県氏姓家系大辞典』角川書店、1992年(平成4年)。ISBN 978-4040024707 

関連項目

外部リンク

先代
北谷朝愛
琉球の摂政
1705年 - 1712年
次代
豊見城朝匡



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小禄朝奇」の関連用語

小禄朝奇のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小禄朝奇のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小禄朝奇 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS