小柳富男とは? わかりやすく解説

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小柳富男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/01 23:08 UTC 版)

小柳 富男(こやなぎ とみお、1916年大正5年)8月2日 - 1971年昭和46年)12月14日)は、日本飛込競技選手。1936年ベルリンオリンピックに出場した。

経歴

1916年8月2日、福岡県に生まれる[1][2]。大阪府立今宮中学校(現在の大阪府立今宮高等学校)を卒業し、早稲田大学に進学する[2]。早稲田大学では競泳が一般的であった中で飛込競技の実力を大いに伸ばし[2]1935年8月6日にベルリンオリンピック飛込競技日本代表となることが発表された[3]。ベルリンオリンピックでは飛板飛込と高飛込の両方に出場し、飛板飛込で133.07点、高飛込で94.54点を獲得しいずれも8位となった[4][5]。その後、1939年の日本選手権では高飛込で優勝、1940年の日本選手権では飛板飛込で優勝、1946年の日本選手権では再び高飛込で優勝した[1]1956年メルボルンオリンピック1964年東京オリンピックでは飛込競技のコーチを務めた[6][7]。1971年12月14日に55歳で死去[1]

脚注

  1. ^ a b c Tomio Koyanagi Olympedia(2023年8月2日閲覧)
  2. ^ a b c 朝日新聞社 編『われらの選手 : オリンピツク代表点描』朝日新聞社、1936年 91ページ、92ページ
  3. ^ 大阪毎日新聞社, 東京日日新聞社 編『毎日年鑑 昭和11年』大阪毎日新聞社、1935年 464ページ
  4. ^ Springboard, Men Olympedia(2023年8月2日閲覧)
  5. ^ Platform, Men Olympedia(2023年8月2日閲覧)
  6. ^ 「五輪派遣選手団の全容」『新聞月鑑 = News mirror 8』(94) 新聞月鑑社、1956年11月、1112ページ
  7. ^ 信濃毎日新聞社調査出版部 編『信毎年鑑 1965年版』信濃毎日新聞社、1964年 14ページ



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