小林政敏
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小林 政敏(こばやし まさとし、1948年10月8日 - 2003年2月20日)は、新潟県出身の元リュージュ選手、北海道ボブスレー・リュージュ連盟常任理事。札幌オリンピック日本代表。妻の大高優子はリュージュ選手で同じく札幌オリンピック日本代表、娘の小林由美恵も同様リュージュ選手で長野オリンピック、ソルトレイクシティオリンピック代表[1]。
1972年に開催された札幌オリンピックに出場し、男子1人乗りで24位、2人乗りでは荒井理と共に4位入賞している。この大会は日本において冬季オリンピックのリュージュ競技初出場であった[2]。
2003年2月20日、北海道女満別町にて心筋梗塞のため死去[1]。
出典
- ^ a b 小林政敏氏(札幌五輪リュージュ代表)が心筋こうそくのため死去 日刊スポーツ
- ^ JOC - リュージュ
小林 政敏(こばやし まさとし)
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「復讐教室 (漫画)」の記事における「小林 政敏(こばやし まさとし)」の解説
15〜18人目のターゲットの1人。右目を隠している男子。安奈と付き合っている。欠席者を出すにつれクラスが崩壊した後、振り分けられた中学校では藍と同じ地区になり、外見が変わった藍に困惑していた。
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