小堀泰巖とは? わかりやすく解説

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小堀泰巖

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/19 02:40 UTC 版)

小堀 泰巖
1943年4月13日 -
生地 滋賀県長浜市
宗派 臨済宗
寺院 建仁寺
湊素堂、福富以清
著作 『素堂老漢の風香』
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小堀 泰巖(こぼり たいがん、1943年4月13日 - )は、日本臨済宗。俗姓は小堀。法諱は宗運(そううん)。

師の例にならい、室号は用いない。2024年時点では臨済宗建仁寺派管長を務める。

来歴

滋賀県長浜市出身。滋賀県長浜市に近江孤峰庵住職の小堀定泰の長男として生まれた。

大徳寺派の廣徳寺(東京都練馬区)住職、福富以清のもとに預けられ、小僧生活を送る。同年同時期、後に大徳寺派第15代管長となる高田明浦も廣徳寺の門を叩いて入門しており、ともに幼少期を過ごす。大正大学仏教学部を卒業した。

1966年、鎌倉建長僧堂に掛搭する。湊素堂に師事し、参禅弁道の修行生活を過ごす。

1980年、素堂が京都建仁寺へと移るにあたり、その付人として建仁僧堂へ転錫。後に嗣法する。

1992年8月に素堂が脳梗塞に倒れてからはその看病にあたる傍ら、法嗣弟子として建仁僧堂の法燈を守る。翌年秋からは、師の命により入室参禅、提唱の代行を務める。

1999年、臨済宗建仁寺派管長、建仁僧堂師家、建仁寺住職、霊洞院住職に就任した。以来、数多くの雲水らの指導にあたる。

2014年、「開山千光祖師栄西禅師800年大遠諱法要」を厳修した。

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