小坂城 (信濃国)とは? わかりやすく解説

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小坂城 (信濃国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/24 15:49 UTC 版)

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小坂城
長野県
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 桑原氏
築城年 室町時代
主な改修者 上杉景勝
廃城年 1587年(天正15年)
遺構 曲輪、堀切、石垣積
指定文化財 千曲市指定史跡[1]
位置 北緯36度32分09.4秒 東経138度05分20.9秒 / 北緯36.535944度 東経138.089139度 / 36.535944; 138.089139座標: 北緯36度32分09.4秒 東経138度05分20.9秒 / 北緯36.535944度 東経138.089139度 / 36.535944; 138.089139
地図
小坂城
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小坂城(こさかじょう)は、長野県千曲市桑原の小坂地区にある日本の城跡。千曲市指定史跡に指定されている[1]

概要

15世紀中頃の康正年間(1455年-1457年)に小笠原政康が村上頼清を排除して赤沢対馬守(後の桑原対馬を名乗る)をこの地に入れ、この桑原氏によりこの城が築城されたと伝わる[2][3]。山麓に城主の居館(根小屋)を持つ「豪族居館型山城」であったが、16世紀中頃以降の織豊期に軍事的な改修と機能強化が成された。特に、1582年(天正10年)に甲斐武田氏の滅亡および織田信長横死して以降、桑原の地に進出した上杉氏小笠原氏との戦闘が激化すると、上杉景勝により軍事機能の強化がなされた[3]

しかし、その後の1586年(天正14年)に豊臣秀吉が関東・奥州の諸大名の争乱に介入し、戦闘が停止されると小坂城は翌1587年(天正15年)に廃城となり、その役割を終えた[3]

城跡曲輪のほか石垣積や堀切が残り、2015年(平成27年)4月1日付けで千曲市指定史跡に指定された[1]

脚注

  1. ^ a b c 「千曲市文化財一覧」千曲市公式HP
  2. ^ 中山 2021 p.1
  3. ^ a b c 千曲市歴史文化財センター p.1

参考文献




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