富岡 清とは? わかりやすく解説

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富岡清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/07 17:45 UTC 版)

富岡 清
とみおか きよし
生年月日 (1953-03-13) 1953年3月13日(72歳)
出身校 早稲田大学法学部
前職 埼玉県熊谷市長
所属政党自由民主党→)
無所属
称号 旭日中綬章
公式サイト 富岡清オフィシャルサイト

当選回数 4回
在任期間 2005年11月 - 2021年11月

(旧)熊谷市長
当選回数 1回
在任期間 2002年 - 2005年9月

埼玉県議会議員
当選回数 3回
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富岡 清(とみおか きよし、1953年昭和28年)3月13日[1] - )は、日本政治家。元埼玉県熊谷市長。元埼玉県ラグビーフットボール協会会長[2]

来歴

熊谷市立奈良中学校、埼玉県立熊谷高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業後、熊谷市農業協同組合に勤務。熊谷市議会議員(2期)、埼玉県議会議員(3期)を経て、2002年(平成14年)(旧)熊谷市長就任。2005年(平成17年)11月、新設合併に伴う熊谷市長選で当選。特例市への移行に尽力した。

市長職と兼任して、埼玉県ラグビーフットボール協会会長[3]、熊谷市体育協会会長、熊谷市観光協会会長を務めた。市長・県ラグビーフットボール協会会長の両方の立場から、県と連携し、ラグビーワールドカップ2019の会場誘致、埼玉パナソニックワイルドナイツの本拠地誘致を実現した。

2021年6月市議会定例会において、次期熊谷市長選には出馬しない意向を表明[4]、同年10月24日告示31日投開票の市長選に事前表明通り立候補せず[5]、同11月5日を任期満了日として、旧熊谷市から通算5期約19年間に渡る市長としての立場から勇退した。埼玉県ラグビーフットボール協会会長職も後に次代熊谷市長が引き継いでいる。

2023年、これまでの功績が讃えられ、旭日中綬章を受章[6]、またこれを受けて熊谷市名誉市民に推挙された[7]

脚注

外部リンク

公職
先代
新設
埼玉県熊谷市長(新)
2005年 - 2021年
次代
小林哲也
先代
小林一夫
埼玉県熊谷市長(旧)
2002年 -2005年
次代
廃止



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