宝蔵寺_(上田市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 宝蔵寺_(上田市)の意味・解説 

宝蔵寺 (上田市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/02 02:57 UTC 版)

宝蔵寺
所在地 長野県上田市御嶽堂84
位置 北緯36度19分43.33秒 東経138度15分47.38秒 / 北緯36.3287028度 東経138.2631611度 / 36.3287028; 138.2631611座標: 北緯36度19分43.33秒 東経138度15分47.38秒 / 北緯36.3287028度 東経138.2631611度 / 36.3287028; 138.2631611
山号 瀧洞山
宗旨 浄土宗
本尊 聖観世音菩薩
創建年 承和元年(834年)
札所等 中部四十九薬師霊場第4番
信濃三十三観音霊場第23番
法人番号 6100005004740
テンプレートを表示

宝蔵寺(ほうぞうじ)は、長野県上田市にある浄土宗の寺院。山号は瀧洞山。

歴史

寺伝では、観音堂(岩谷堂)は承和元年(834年)に円仁によって創建された。本尊の聖観世音菩薩は、安永5年(1776年)建立の本尊に安置されているが、それ以前は本堂裏の「奥の院」と呼ばれる洞窟の中にあった。寛政9年(1797年)には大出水により石垣が崩壊し、修復の寄進が行われ、寄進帳の中には雷電為右衛門の署名がある。

寺の前を通る道は中世の鎌倉街道、寺の裏山は依田城跡で、治承5年(1181)木曽義仲が挙兵出陣に際し、岩屋堂で戦勝を祈願し、馬で登った道が今でも「馬大門」として伝わっている。また「義仲桜」(樹齢約800年)と呼ばれる手植えの桜が残っている。

平家滅亡後、藤原景清は仇討のため旅の僧に扮して鎌倉に向かう途中、当寺に立ち寄り、守護仏の千手観音を奉納したと伝わり、その遺品の軍旗が隠岐国の大満寺から寄贈された。

参考文献

  • 『信濃三十三札所めぐり』1991年 郷土出版社
  • 『信濃三十三番観音札所巡拝案内』2002年 そうび出版



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  宝蔵寺_(上田市)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「宝蔵寺_(上田市)」の関連用語

宝蔵寺_(上田市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



宝蔵寺_(上田市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの宝蔵寺 (上田市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS