定津院
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定津院(じょうしんいん) | |
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所在地 | 長野県東御市祢津西宮1734 |
位置 | 北緯36度22分34.1秒 東経138度21分15.0秒 / 北緯36.376139度 東経138.354167度座標: 北緯36度22分34.1秒 東経138度21分15.0秒 / 北緯36.376139度 東経138.354167度 |
山号 | 臨川山 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 釈迦如来 |
創建年 | 宝徳元年(1449) |
開山 | 拈笑宗英 |
開基 | 祢津上総輔信貞(祢津城主) |
文化財 | 市文化財:拈笑宗英像,祢津お姫様巨石 |
定津院(じょうしんいん)は、長野県東御市祢津西宮にある曹洞宗の寺院。山号は臨川山。
概要
祢津上総介信貞が曹洞宗に帰依し、拈笑宗英禅師(ねんしょうそうえい ぜんじ)を開山に招き、宝徳元年(1449年)祢津氏の城館外に精舎を建立し[1]、祢津氏の菩提寺となる。元和8年(1632年)、祢津伊予守信直は真田氏に従い松代に移封したが、累代の墓所は当寺に残された。正保4年(1647年)、松平忠利 (松平忠節)が分知により、祢津知行所の領主となると、その庇護により、江戸幕府から35石の朱印状を受けた。
寺宝としては、拈笑宗英禅師の絵画(頂相)の他、武田家巻竜御朱印伝馬5匹の書、天正12年領主・祢津昌綱寺領書、武田家寄付の堆朱塗りの香壺、御涅槃像大軸(狩野信長筆)などがある。
境内
三間三戸、入母屋、銅板葺きの楼門形式。山門背後には六地蔵が安置される。一間一戸、入母屋、銅板葺きの鐘楼門を配置し、門の両脇には廻廊がある。『鐘楼門』は門上に『鐘』を有する。
巨石の逸話
境内背後の山中に松平忠節の奥方了照院(長州藩家臣宍戸但馬守の娘)が婦人病の平癒を祈願したという巨岩が残されている。巨石の正面には、釈迦如来(しゃかにょらい)と多宝如来(たほうにょらい)の2尊像の座像が蓮華座の上に並んで線彫りされている。この巨岩は「祢津お姫様巨石」として信仰の対象となり、婦人病に悩む人々が遠方から参拝に訪れる。[2]
本末関係
定津院の本寺は明和年間以降、最勝院から山梨県甲府市の興因寺となった。
脚注
参考文献
- 『探訪 信州の古寺 禅宗』1996年 郷土出版社
外部リンク
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