定津院とは? わかりやすく解説

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定津院

読み方:ジョウシンイン(joushin’in)

宗派 曹洞宗

所在 長野県東御市

本尊 釈迦如来

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

定津院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/06 15:34 UTC 版)

定津院(じょうしんいん)
所在地 長野県東御市祢津西宮1734
位置 北緯36度22分34.1秒 東経138度21分15.0秒 / 北緯36.376139度 東経138.354167度 / 36.376139; 138.354167座標: 北緯36度22分34.1秒 東経138度21分15.0秒 / 北緯36.376139度 東経138.354167度 / 36.376139; 138.354167
山号 臨川山
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦如来
創建年 宝徳元年(1449)
開山 拈笑宗英
開基 祢津上総輔信貞(祢津城主)
文化財 市文化財:拈笑宗英像,祢津お姫様巨石
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定津院(じょうしんいん)は、長野県東御市祢津西宮にある曹洞宗寺院。山号は臨川山。

概要

祢津上総介信貞が曹洞宗に帰依し、拈笑宗英禅師(ねんしょうそうえい ぜんじ)を開山に招き、宝徳元年(1449年)祢津氏の城館外に精舎を建立し[1]、祢津氏の菩提寺となる。元和8年(1632年)、祢津伊予守信直真田氏に従い松代に移封したが、累代の墓所は当寺に残された。正保4年(1647年)、松平忠利 (松平忠節)が分知により、祢津知行所の領主となると、その庇護により、江戸幕府から35石の朱印状を受けた。

寺宝としては、拈笑宗英禅師の絵画(頂相)の他、武田家巻竜御朱印伝馬5匹の書、天正12年領主・祢津昌綱寺領書、武田家寄付の堆朱塗りの香壺、御涅槃像大軸(狩野信長筆)などがある。

境内

三間三戸、入母屋、銅板葺きの楼門形式。山門背後には六地蔵が安置される。一間一戸、入母屋、銅板葺きの鐘楼門を配置し、門の両脇には廻廊がある。『鐘楼門』は門上に『鐘』を有する。

巨石の逸話

境内背後の山中に松平忠節の奥方了照院(長州藩家臣宍戸但馬守の娘)が婦人病の平癒を祈願したという巨岩が残されている。巨石の正面には、釈迦如来(しゃかにょらい)と多宝如来(たほうにょらい)の2尊像の座像が蓮華座の上に並んで線彫りされている。この巨岩は「祢津お姫様巨石」として信仰の対象となり、婦人病に悩む人々が遠方から参拝に訪れる。[2]

本末関係

定津院の本寺は明和年間以降、最勝院から山梨県甲府市の興因寺となった。

定津院の末寺は孫末寺を加えると35寺。[3]

脚注

  1. ^ 株式会社東信ジャーナル社2014年10月3日掲載:五十嵐隆曉 住職
  2. ^ 長野県東御市 文化・スポーツ振興課文化振興係(文化財)
  3. ^ 興因寺文書 文久5年(1822年)興因寺蔵海和尚 署名

参考文献

外部リンク



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