宗像郡
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- ^ 『続日本紀』文武天皇二年三月己巳条。なお、宗像郡と同時に出雲国の意宇郡も連任を許された。
- ^ 続いて上総国安房郡が、文武天皇4年(700年)(『続日本紀』文武天皇四年二月乙酉条)に連任を許され、さらに養老7年(723年)までに八神郡全て連任を許された。
- ^ 藤原京出土木簡に「己亥年十月上捄国阿波評松里□」(己亥年は西暦699年)とあり、7世紀末には「郡」ではなく「評」と呼ばれていたことが判明し、大宝元年(701年)以降に郡と称するようになったと考えられている(「藤原京出土の木簡が、郡評論争を決着させる」木下正史 著 『藤原京』 中央公論新社、2003年、ISBN 4-12-101681-5、64頁)。
- ^ 新日本古典文学大系版『続日本紀』、岩波書店、1989年、補注1-56、1-57、258-259頁。
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