宇都宮則綱 (政治家)とは? わかりやすく解説

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宇都宮則綱 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/29 00:42 UTC 版)

宇都宮則綱

宇都宮 則綱(うつのみや のりつな、1889年明治22年)5月1日[1] - 1973年昭和48年)5月31日[2])は、大正から昭和期の実業家政治家衆議院議員(1期)。

経歴

大分県[2]速見郡八坂村[3](現杵築市[3])で、酒造業の家に生まれる[3]。大分県農学校(のち大分県立三重農業高等学校となり閉校)を卒業[3]

速見郡朝日村(現別府市)の兄が経営していた酒店を引き継ぐ[3]油屋熊八、梅田凡平らと別府宣伝協会を結成して全国に別府を宣伝した[3]。豊洋水産取締役会長、鬼山地獄社長なども務めた[2]

1924年(大正13年)別府市会議員に選出され同議長にも就任[2][3]。1943年(昭和18年)全国市会議長会(現全国市議会議長会)会長に就任[2][3]。1935年(昭和10年)大分県会議員となり1期在任した[2][3]

1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で大分県全県区から日本進歩党公認で出馬して落選[4]。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙大分県第2区から民主党公認で出馬して当選し[5]、衆議院議員に1期在任した[2]。その後、1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙に立候補したが落選し[6]、政界を引退した[3]

以後、鬼山ホテルの経営を行った[3]。1971年(昭和46年)春の叙勲で勲四等瑞宝章受章[7]

1973年(昭和48年)5月31日死去、84歳。死没日をもって従五位に叙される[8]

著作

  • 河村豊編『回顧七十年』河村豊、1965年。※大分県立図書館所蔵

親族

  • 三男 宇都宮秀綱(大分県議会議員)[3]

脚注

出典

  1. ^ 『第三回国会 衆議院議員名簿』30頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』84頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 『大分県歴史人物事典』73頁。
  4. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第22回』1697頁。
  5. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第23回』585頁。
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』376頁。
  7. ^ 『官報』号外第49号7-8頁 昭和46年4月30日号
  8. ^ 『官報』第13945号11-12頁 昭和48年6月21日号

参考文献

  • 『第三回国会 衆議院議員名簿』衆議院公報附録、1948年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第22回』衆議院事務局、1950年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『大分県歴史人物事典』大分合同新聞社、1996年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。



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