妙興寺 (千葉市)とは? わかりやすく解説

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妙興寺 (千葉市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/27 08:15 UTC 版)

妙興寺
本堂
所在地 千葉県千葉市若葉区野呂町738
位置 北緯35度34分56.2秒 東経140度14分17.9秒 / 北緯35.582278度 東経140.238306度 / 35.582278; 140.238306座標: 北緯35度34分56.2秒 東経140度14分17.9秒 / 北緯35.582278度 東経140.238306度 / 35.582278; 140.238306
山号 長崇山
宗派 日蓮宗
寺格 本山
本尊 三宝尊
創建年 1275年(建治元年)
開山 日合
開基 曽谷直秀
法人番号 1040005000965
妙興寺
妙興寺 (千葉県)
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妙興寺(みょうこうじ)は、千葉県千葉市若葉区にある、日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は長崇山。

概要

寺伝によると、曽谷直秀が堂宇を建立し、日合を招いて開山したという。現在地より南へ少し離れた場所、鹿島川支流を隔てた加納ヶ丘の地に創建された。旧地の八反目台貝塚付近には歴代の墓所が残る。

七堂伽藍を有していたとされるが、戦国時代永禄十二年(1569年)、里見氏房総半島へ進出して兵乱によってことごとく焼失した。天正三年(1575年)、当地の地頭・斉藤胤次が再建願主として、現在地の土地を寄進し、講堂等堂宇を建立され、さらに天和二年(1682年)松平安芸守により一切経蔵が寄進建立されている。

江戸時代檀林(野呂檀林)が開かれて多くの学徒が学んだが、不受不施派の弾圧により、廃檀した。当時、日講が講師を務めていたが、日向佐土原へ流罪となった。

現住は64世小澤日尤貫首。合師法縁(通師・千駄ヶ谷法縁)。

歴史

日合墓所(加納ヶ丘)
  • 1275年(建治元年)曽谷直秀は堂宇を建立し、日合を招いて開山する[1]
  • 1569年(永禄12年)里見氏の侵攻により、焼失する。
  • 1575年(天正3年)斉藤胤次より土地の寄進を受け、移転する[2]
  • 1600年(慶長5年)池上本門寺・日観は野呂檀林を開檀する。
  • 1665年(寛文5年)不受不施派の弾圧により、野呂檀林20世・日講は流罪となる。
  • 1666年(寛文6年)宗門改により、野呂檀林は廃檀する。
  • 1834年(天保5年)山火事により、焼失する。
  • 1862年(文久2年)現在の地に移転する。

旧末寺

日蓮宗は昭和16年に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。

  • 法鏡山長善寺(千葉市若葉区坂月町)
  • 不動山慈眼寺(千葉市若葉区野呂町)
  • 蓮城山栄久寺(千葉市若葉区川井町)
  • 昌谷山長光寺(山武市埴谷)
    • 長光寺末:七面山実相院(八街市八街に)
    • 長光寺末:北中山学成院(嬉野市塩田町大字五町田甲)
  • 福増山本念寺(市原市福増)
  • 妙蓮山本成寺(大網白里市養安寺)

交通アクセス

千葉駅よりちばフラワーバス成東行き、中野操車場行き「芳賀」下車。

脚注

  1. ^ 日本仏家人名辞書
  2. ^ 斉藤胤次寄進状

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