奈良義成の妹とは? わかりやすく解説

奈良義成の妹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/04 03:13 UTC 版)

奈良義成の妹(ならよしなりのいもうと、生没年不詳)は、安土桃山時代の貞婦。和歌を好み、書をよくした。

奈良義成は、永禄年間、伏見に寓し、西岡のひと貞光久左衛門について笛をまなんだ。久左衛門は、奈良義成の妹の容色にめでて妻金氏を離別し、妹を妻にしたいともとめた。義成は、人倫にもとるとしてこれを辞し、ひそかに母と話し合い妹をさとし、野村高藤と婚を約した。たまたま三好党が乱をおこし、将軍足利義昭本国寺におそった。義成もこれにくわわり、軍は敗れ東寺にはしった。久左衛門は、ひごろの鬱憤をはらすのはこのときにありと、義成を追った。義成は返し合せてこれに死んだ。久左衛門は伏見に行き、妹をうばった。妹はいつわって、「夫越中、左近と共に戦死し、わらわ今寡婦となりたれば、請う、君少しく哀憐を垂れ、願わくは書をもって家に致し、もって老母の情を慰めしめよ」といい、毛髪を断ち、書中に同封して久左衛門に託した。久左衛門はひとを遣わせてこれを伏見におくった。老母がひらいてこれを見ると、歌があり、「思ひ河深き淵瀬は早けれどさそふ水には名を流さめや」と、つぶさにその状を報じていた。老母はこれを見てかなしみのあまり使者の面前で自殺した。使者はおどろき帰ってこれを久左衛門に報じた。久左衛門はおおいによろこび、妹にいいよりせまった。妹はいかり、久左衛門の佩刀をうばってこれを刺し、みずからも腹を切って死んだ。

のちに、織田信長はこれをきき、久左衛門の不義不仁をにくみ、その妻女をとらえて磔刑に処した。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

奈良義成の妹のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



奈良義成の妹のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの奈良義成の妹 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS