太田哲三
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 13:42 UTC 版)
太田 哲三(おおた てつぞう、1889年(明治22年)5月8日 - 1970年(昭和45年)7月4日)は日本の会計学者、公認会計士。一橋大学名誉教授[注釈 1]、元・中央大学教授。商学博士(一橋大学)。監査法人太田哲三事務所(EY新日本有限責任監査法人の前身)の創設者で、日本公認会計士協会の初代会長。実業界では長浜ゴム工業(のちの三菱樹脂)社長を2年間務め、その後は三菱化成(三菱ケミカルホールディングスの前身)監査役を最晩年まで務めた。従三位・勲二等瑞宝章。
注釈
- ^ ノート「太田の肩書について」を参照。
- ^ 長浜ゴム工業の社長を引き受けてほしいと言う要請を受けた太田は、一度は実業界で働いてみたいと考えていたこともあり応諾した[3]。奉職していた東京商大から難色を示されたが、無理に頼み込んで「定年退官」ということにしてもらった[3]。
- ^ 戦後に大蔵省が公認会計士制度を創設した時に、太田は検討委員として制度設計に参画した[3]。太田は時の大蔵省理財局長から公認会計士審査委員への就任を打診されたが、自らが公認会計士試験を受けて公認会計士になろうとしていた太田は固辞した[3]。太田は公認会計士試験の試験官を初回から十数回務めたが、自らは第2回の試験を受けて合格した[3]。
出典
- ^ a b c d e 一橋大学商学部教授 岡本清 (1986年8月26日). “一橋における原価計算と管理会計”. 如水会. 2018年2月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月25日閲覧。
- ^ a b c d “太田哲三 略歴”. 如水会. 2018年2月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 「太田哲三」『私の履歴書 文化人16』日本経済新聞社、1984年。※日本経済新聞に太田の「私の履歴書」が連載されたのは、1968年(昭和43年)11月。
- ^ a b 一橋大学名誉教授 中村忠 (2005年6月14日). “社会を支える会計”. 如水会. 2018年2月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月25日閲覧。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』541頁。
固有名詞の分類
- 太田哲三のページへのリンク