大阪市立新豊崎中学校とは? わかりやすく解説

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大阪市立新豊崎中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/03 17:37 UTC 版)

大阪市立新豊崎中学校
北緯34度42分48.3秒 東経135度31分2.5秒 / 北緯34.713417度 東経135.517361度 / 34.713417; 135.517361座標: 北緯34度42分48.3秒 東経135度31分2.5秒 / 北緯34.713417度 東経135.517361度 / 34.713417; 135.517361
国公私立の別 公立学校
設置者 大阪市
校訓 自律・協同
設立年月日 1982年
創立記念日 6月4日
共学・別学 男女共学
学校コード C127210000383
所在地 531-0063
大阪市北区長柄東2丁目2番30号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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大阪市立新豊崎中学校(おおさかしりつ しんとよさき ちゅうがっこう)は、大阪府大阪市北区にある公立中学校。生徒や地域住民の間では「しんとよ」と略されることが多い。

北区の北東部、天六の北東一帯を校区とする。

現在の校区は、かつては大阪市立豊崎中学校校区に属していた。しかし1980年代初頭より「淀川リバーサイド地区整備計画」として、現在の校区にあたる地域で高層マンションが開発された。それに伴う生徒増加により、1982年に豊崎中学校の校区東部を分離する形で現在地に開校した。学校敷地は、学校開校前は地域のコミュニティ広場として使用されていた。

沿革

大阪市立豊崎中学校の分離校・大阪市立大淀第三中学校(仮称)を設置することが、1981年5月に決定した。同年6月より校舎建設工事が開始された。

1982年2月に大阪市立新豊崎中学校の校名が内定し、同年3月の大阪市会の議決で正式に校名が決定した。1982年4月に大阪市立新豊崎中学校として開校した。

開校当初は、大阪市立豊崎東小学校大阪市立豊仁小学校の校区在住の2年生が豊崎中学校より移り、両小学校を卒業した1年生とあわせて2学年での発足となった。

年表

  • 1981年5月 - 大阪市教育委員会、大阪市立大淀第三中学校(仮称)設置を決定。
  • 1981年6月4日 - 学校関係者や地域住民により、大淀第三中学校設立対策委員会が発足(この日を創立記念日とする)。
  • 1982年2月3日 - 校名を大阪市立新豊崎中学校にすることを申請。
  • 1982年3月30日 - 大阪市会、大阪市立新豊崎中学校の設立を議決。
  • 1982年4月1日 - 大阪市立新豊崎中学校として開校。
  • 1983年9月20日 - 校歌制定。
  • 1983年11月29日 - 開校記念式典。

通学区域

出身者

交通

参考文献

  • 財団法人大阪都市協会『大淀区史』1988年11月、p.242

関連項目

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