大野敬吉
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大野 敬吉(おおの けいきち、1887年〈明治20年〉1月13日[1] - 1935年〈昭和10年〉3月24日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
兵庫県佐用郡、のちの久崎村(久崎町、上月町を経て現佐用町)出身[3][注 1]。1907年、御影師範学校(現・神戸大学教育学部)卒。東京で著作出版業を営む[3]。古制研究のため自治学会を創設する。下谷区会議員、東京市会議員、東京市嘱託として欧米諸国の各都市を視察した[2]。
1924年の第15回衆議院議員総選挙において兵庫11区から憲政会公認で立候補したが落選した[4]。1928年の第16回衆議院議員総選挙において兵庫4区(当時)から立憲民政党公認で立候補してトップ当選した[5]。衆議院議員を1期務めた。1930年の第17回衆議院議員総選挙に立候補したが辞退した。1935年死去。
脚注
注釈
- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』134頁では東京都。
出典
参考文献
- 『兵庫県人物事典 下巻』のじぎく文庫、1968年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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