大福寺_(奈良県広陵町)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 大福寺_(奈良県広陵町)の意味・解説 

大福寺 (奈良県広陵町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/03 07:47 UTC 版)

大福寺
所在地 〒635-0802 奈良県北葛城郡広陵町的場80
位置 北緯34度33分59.82秒 東経135度45分8.28秒 / 北緯34.5666167度 東経135.7523000度 / 34.5666167; 135.7523000座標: 北緯34度33分59.82秒 東経135度45分8.28秒 / 北緯34.5666167度 東経135.7523000度 / 34.5666167; 135.7523000
山号 満嶋山
宗旨 高野山真言宗
本尊 薬師如来
開基 (伝)聖徳太子
テンプレートを表示

大福寺(だいふくじ)とは奈良県北葛城郡広陵町的場にある寺院である。町内にある48の寺の一つで、百済寺や与楽寺と並び最も古い開基の真言系の寺院である。真言宗古義派(高野山真言宗)の寺院で山号を満嶋山とし本尊を薬師如来坐像とする。聖徳太子創建の伝承が伝わる。十一面観音立像、脇侍竜王像、雨宝童子像や両界曼荼羅は県の文化財の指定を受けている[1]

歴史

創建から中世

開山、開基は未詳。寺伝によれば、聖徳太子建立の広淵(広瀬)寺の後身とされる[2]

近世近代

江戸時代には、高野山多門院の末寺で、寺地は約0.5kmを隔てて東・北(西)の2寺からなっていた。30石の朱印寺で、慶長7年(1602)8月6日の徳川家康朱印状をはじめ、歴代の朱印状が残っている[2]

「大和誌」には、正堂2宇・鐘楼・浴室・僧舎6宇とある[2]

明治初期の図面によれば、北寺に本堂・鐘楼・天満天神社・寺宝院・新坊・東寺に太子堂・阿弥陀堂・鐘楼・白山神社・智恵光院(塔頭)・墓地を残すのみとなり、両寺の寺地は3町6反歩であった。明治25年東寺が廃され、北寺(西)が残って今の大福寺となる[2]

文化財

奈良県指定有形文化財

木造十一面観音立像

六間四方の巨大な本堂に安置されており、右手には錫杖を持ち、左手には水瓶をとる。左に難陀竜王像、右に雨宝童子像を侍立する。像内墨書から箸尾氏の立願により永禄3年(1560年)に造立されたことがわかっている。良質のヒノキ材を用いて彩色せず、木肌を生かして仕上げる宿院仏師による製作の特徴がある[3]。昭和42年11月25日県指定文化財指定[4]

瑞夢記

箸尾弁財天(現在の櫛玉比売神社)に関する説話集。弁財天に関する由緒や霊験が収録されており、出てくる地域も田原本町や大和郡山市、大和高田市など奈良盆地一帯に広がっている。1312年に近隣に居住していた僧侶が編纂したもので、1283年から正安年間(1299年~1301年)の範囲の説話が収録されている。現在大福寺に伝わっているものは1444年に制作された写本である[5][6]。令和4年3月25日県指定文化財指定[7]

板絵著色両界曼荼羅図

板絵著色両界曼荼羅は、本堂の須弥壇後壁に胎蔵界と金剛界曼荼羅を置く。ヒノキ板7枚を横使いにして、漆、白土を下地に極彩色で曼荼羅諸尊を描く。もともとは田原本町楽田寺の灌頂堂の曼荼羅として制作され、金剛界が2年を要し、胎蔵界は6年を費やし、応永30年(1423年)に完成した[3]。昭和61年3月18日に県指定文化財に指定された[4]

石塔

現在は八重の塔であるが、近くに石屋根が落ちていることから往時は今よりも多層であったと推定される。材質は花崗岩製で高さは約3m、基壇は宝篋印塔の基壇を転用している。上面には反り花、側面には格狭間が掘られており、薬研彫りの梵字が刻まれている。その様式から鎌倉時代後期の作と見られている[8]

旧銅鐘

1224年(貞応3年)に大福寺の鐘として制作された銅鐘。1456年に大阪府貝塚市の水間寺が購入、さらに1585年には「海塚之寺内」に買い取られ願泉寺所蔵となった。大阪府の有形文化財に指定されている[9]

境内

天神社

祭神は菅原道真。1870年の「櫛玉比売神社明細書上長」には大福寺境内にこの神社があったことが記されており、明治以前からこの地に鎮座していたことがわかる[10]

アクセス

  • 奈良県北葛城郡広陵町大字的場80[11]
  • 箸尾駅より徒歩10分[12]。車の場合、国道25号線法隆寺から広陵町経由大和高田への道路、または国道24号線田原本町鍵より箸尾に入る道があり。

脚注

  1. ^ 『広陵町史本文編』(株)ぎょうせい 関西支社、2001年5月31日、906頁。 
  2. ^ a b c d 『奈良県史第6巻寺院』株式会社名著出版、1991年6月15日、572頁。 
  3. ^ a b 『文化財と自然 探訪マップ』広陵町、2023年3月。 
  4. ^ a b 奈良県教育委員会事務局 編『奈良県・指定文化財目録』明新印刷株式会社、1986年3月31日、209ページ頁。 
  5. ^ 広陵町史編集委員会 編『「広陵町史」史料編上巻』広陵町、2000年3月31日、459-497頁。 
  6. ^ 瑞夢記 | 奈良県歴史文化資源データベース | 奈良県歴史文化資源データベース「いかす・なら」”. www.pref.nara.jp. 2025年11月3日閲覧。
  7. ^ 大福寺(広陵町大字的場)所蔵の「瑞夢記(ずいむき)」が奈良県有形文化財に指定されました”. 広陵町 (2022年4月25日). 2025年11月3日閲覧。
  8. ^ 毎日新聞奈良支局『大和の塔』創元社、1973年、110頁。doi:10.11501/9572737 
  9. ^ 願泉寺銅鐘|貝塚市”. www.city.kaizuka.lg.jp. 2025年10月28日閲覧。
  10. ^ 広陵町史編纂委員会『広陵町史 本文編』広陵町、2001年、965頁。 
  11. ^ 『奈良県指定文化財 第10集』奈良県教育委員会、1970年、26頁。 
  12. ^ 観光案内”. 広陵町 (2012年7月30日). 2025年10月22日閲覧。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  大福寺_(奈良県広陵町)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大福寺_(奈良県広陵町)」の関連用語

大福寺_(奈良県広陵町)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大福寺_(奈良県広陵町)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大福寺 (奈良県広陵町) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS