大田の成立と中世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 09:30 UTC 版)
大田という地名は鎌倉期より見え、薩摩国伊集院のうちであり、建久8年の薩摩国図田帳に伊集院のうちとして見えるのが大田の初見であると考えられている。 大前道友が本主で、大隅正八幡宮(現在の鹿児島神宮)領のうちの万得領であった。 南北朝後期には伊集院氏の伊集院久氏の五男である久勝が大田を領し、以後大田氏を称した。宝徳2年に伊集院氏の8代当主であった伊集院煕久が肥後へ亡命し、伊集院の全域が島津氏の直轄領となり、大田も島津氏の領下となった。
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