大曾禰長経とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 大曾禰長経の意味・解説 

大曾禰長経

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 10:47 UTC 版)

大曾禰 長経(おおそね ながつね、寛喜4年/貞永元年[1]1232年) - 弘安元年6月22日1278年7月13日))は鎌倉時代中期の武士。左衛門尉大曾禰長泰の嫡男。弟に義泰、景実。子に大曾禰宗長、隠岐時清室。

『関東評定衆伝』によると、文永6年(1269年)、38歳の時に引付衆に任じられ、建治元年(1275年)には東使を務めた。翌2年(1276年)に従五位下上総介叙位された。

弘安元年(1278年)6月22日、47歳で死去。

脚注

  1. ^ 死没時の年齢から逆算。

参考文献

  • 『関東評定衆伝』(「群書類従 補任部」 続群書類従完成会、1960年)
  • 尊卑分脈』(新訂増補 国史大系)


このページでは「ウィキペディア」から大曾禰長経を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から大曾禰長経を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から大曾禰長経 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大曾禰長経」の関連用語

大曾禰長経のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大曾禰長経のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大曾禰長経 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS