大学でのビラ散布
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 18:03 UTC 版)
「ゾフィー・ショル」の記事における「大学でのビラ散布」の解説
1943年2月18日、ゾフィーは兄のハンスとともに、ミュンヘン大学において、白バラのメンバーが起草した、6番目の抵抗ビラを講義室の前などにまとめて置き、最後に残ったビラを3階からホール吹き抜けにばら撒いたところを大学の職員に発見され、ハンスと共に拘束されて、ゲシュタポに引き渡された。尋問において、ゾフィーもハンスもビラがあったことを知らずに落としてしまったと否定していた。しかし、ハンスの住居から彼が所有していたビラの草案とクリストフ・プロープストの数通の手紙、8ペニヒの切手数百枚が見つかり、若い男が住居の近くの郵便局で大量の切手を買ったと報告もあった。このため、兄妹はプロープストから嫌疑をそらそうと試みたが、ビラの作成はハンスとプロープストの2人が行ったものであるとして彼も逮捕されてしまった。
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