大八木喬輔
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大八木 喬輔(おおやぎ きょうすけ、1881年7月[1] - 没年不詳)は、日本の陸軍法務官、弁護士。
経歴
福岡県遠賀郡底井野村(現・中間市)に生まれる[1]。1900年福岡県中学修猷館[2]、1904年7月第一高等学校独法科[3]を経て、1907年7月京都帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業[4][1]。
卒業後、直ちに志願兵として小倉歩兵第14連隊に入隊し三等主計に任官。1909年東京第1師団軍法会議法務官、次いで岡山第17師団軍法会議法務官、1912年台湾総督府軍法会議法務官、1916年青島守備軍軍法会議法務官兼青島守備軍法院裁判官、1920年小倉第12師団軍法会議法務官を歴任し、軍事法務上の一大権威と称されるが、1925年官を辞し、小倉市で弁護士を開業[1]。
脚注
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