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堀谷左治郎

(堀谷左次郎 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/19 21:10 UTC 版)

堀谷左治郎
ほりや さじろう
ほりたに さじろう
生年月日 1863年12月7日
没年月日 (1925-08-30) 1925年8月30日(61歳没)
出身校 早稲田中学校
前職 実業家
所属政党 (無名倶楽部→)
猶興会→)
無所属

選挙区 神奈川県横浜市選挙区
当選回数 2回
在任期間 1904年 - 1912年5月14日

横浜市会議員
在任期間 1922年 - ?

当選回数 4回
在任期間 1894年 - 1904年
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堀谷 左治郎(ほりや[1] / ほりたに[2] さじろう、1863年12月7日(文久3年10月27日[3][4]) - 1925年大正14年)8月30日[1][2])は、日本の実業家政治家衆議院議員。旧姓・岸田。左次郎と表記される場合がある[1]

経歴

松代藩士・岸田鉄治の二男として生まれる[1][3][4]。1876年(明治9年)に上京し[1][3]、1879年(明治12年)同人社を卒業[2]。さらに、商業学校早稲田中学校で学んだ[1]。1880年(明治13年)ころ横浜の叔父・堀谷真治の養子となる[1][注 1]

養家の質商・米穀仲買業に従事[1][3]。日本絹綿紡績社長に就任し、1892年(明治25年)東京移民会社を創設して数千人の移民を送り出した[1]。その他、横浜実業銀行重役、横浜実業貯蓄銀行重役、安全石油監査役、横浜商業会議所議員などを務めた[1][2][3][4]

政界では、1894年(明治27年)から1904年(明治37年)まで神奈川県会議員を4期務め、県参事会員にも就任[1][2]。1904年3月、第9回衆議院議員総選挙に神奈川県横浜市から出馬して当選[1][2][3]。次の第10回総選挙でも当選し、衆議院議員を連続2期務めた[1][2]。1922年(大正11年)に横浜市会議員に選出された[1]

脚注

注釈

  1. ^ 『横浜近代史辞典』87頁、『大日本人物誌』ほ之部22頁では、明治19年2月に堀谷直治の養子とある。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『神奈川県史 別編1』672頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』575頁。
  3. ^ a b c d e f 『横浜近代史辞典』87頁。
  4. ^ a b c 『大日本人物誌』ほ之部22頁。

参考文献

  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『横浜近代史辞典』湘南堂書店、1986年(『横浜社会辞彙』 (横浜通信社大正7年刊) の改題)。
  • 神奈川県県民部県史編集室編『神奈川県史 別編1』人物 : 神奈川県歴史人名事典、神奈川県、1983年。
  • 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。



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