堀内半三郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 堀内半三郎の意味・解説 

堀内半三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 23:56 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
堀内半三郎

堀内 半三郎(ほりうち はんざぶろう、1852年2月20日(嘉永5年2月1日[1][2]) - 1937年(昭和12年)7月7日[3])は、明治から大正時代の政治家銀行家実業家貴族院多額納税者議員

経歴

大地主、製茶業[2]・堀内知雄の二男[2]として駿河国富士郡吉原宿(吉原町、吉原市を経て現富士市)に生まれる[1]。明治4年6月(1871年)に分家した[2]1883年(明治16年)以降、静岡県会議員のほか、吉原銀行取締役、興業銀行頭取、原田製紙、富士電気、富士軌道各社長を歴任した[3]

1911年(明治44年)静岡県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[4]から1918年(大正7年)9月28日まで在任した[3]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 清田 1915, 特52頁.
  2. ^ a b c d 『大正人名辞典 第3版』821頁。
  3. ^ a b c 衆議院、参議院 編 1960, 212頁.
  4. ^ 『官報』第8485号、明治44年9月30日。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  堀内半三郎のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「堀内半三郎」の関連用語

1
10% |||||

堀内半三郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



堀内半三郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの堀内半三郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS