土橋亭里う馬_(7代目)とは? わかりやすく解説

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土橋亭里う馬 (7代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/07 01:55 UTC 版)

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7代目 土橋亭 どきょうてい りゅ
本名 村松 新三郎
別名 「黒の里う馬」
生年月日 1846年9月
没年月日 1920年5月21日
出身地 日本・江戸両国米沢町
師匠 3代目金原亭馬生?
三遊亭圓朝
4代目三遊亭圓生
名跡 1. 金原亭馬圓(? - 1887年)
2. 三遊亭圓新(1887年 - 1897年)
3. 7代目司馬龍生(1897年 - 1902年)
4. 7代目土橋亭里う馬(1902年 - 1920年)
活動期間 ? - 1920年
所属 三遊派

7代目 土橋亭 里う馬(どきょうてい りゅうば、弘化3年9月1846年) - 大正9年(1920年5月21日)は東京の落語家。本名、村松 新三郎。

江戸両国米沢町生まれ。若くして天狗連に入り猿若町の市村座などの木戸芸者(劇場の入口で役者の声色などの芸をしながら、劇の案内や宣伝をする職員)鶴八(または鶴寿)と名乗る。木戸芸者を辞めて3代目金原亭馬生?(山亭馬久二とも、多説あり)に弟子入りし馬圓。旅回りを長期の間続ける。

転機がおとずれたのが、1887年(明治20年)頃。新潟での巡演中、三遊亭圓朝門人の2代目橘家圓太郎1879年の火事で死に無縁仏となっていたのを手厚く供養した。その事が圓朝に知れ、圓朝は新潟に赴き盛大な法事を行い、お礼に馬圓を一門に加え三遊亭圓新の名を与えたのである。

以後は東京で活躍。講釈ネタなど珍しい演目が多く、淡々と語る芸はかなりの力量であったという。1897年(明治30年)頃、4代目三遊亭圓生門で7代目司馬龍生1902年(明治35年)10月、7代目土橋亭里う馬を襲名した。色黒なので「黒の里う馬」と呼ばれた。

1920年、死去。





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