土井 一郎とは? わかりやすく解説

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土井一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/29 01:37 UTC 版)

土井 一郎(どい いちろう、1952年3月27日 - )は、日本の作曲家ジャズピアニスト。2018年11月5日すい臓がんのため死去。

来歴

大阪府出身。大阪府立高津高等学校卒業、大阪教育大学特音中退。音楽教師だった父親の影響を受け、音楽に興味を持ち始めた。高校卒業後のわずかな期間、大阪でプロとしての演奏活動をしていたが、より自由な活動を求めて単身上京。1974年に松本英彦クァルテットに参加して、プロのジャズピアニストとして本格的な活動を始めた。1975年には山口真文クァルテットに加わり、ジャズコンボにおけるピアニストの役割の基礎を学んだ。翌年には新宿ジャズ大賞を受賞。1979年には渡米し、数々のセッションに参加。帰国後には、鈴木勲グループ、ジョージ大塚グループに加わり、日本での活動を再開。サイドメンとして約8年間活動し、レイ・ブラウンラリー・コリエル、アラン・ドーソン、ハンク・ジョーンズらとも、共演を果たした。1990年代は、自己のグループ「ミリオンパラ」やピアノソロのレコーディング中心に活動、2000年以降は作曲活動に重点を置いている。2008年から2年あまりの創作期間を経て2011年「24のプレリュードとフーガ」を完成させ、出版と同時に自らの演奏で録音も敢行した[1]。現在はトリオを中心として演奏活動を継続中である。2018年11月5日すい臓がんのため死去。

音楽性

ビル・エヴァンス、ウイントン・ケリーの影響によるメインストリームのモダンジャズが基本スタイルではあるが、ジョー・ザヴィヌルの音楽アプローチにも興味を示し、1980年頃から約25年間、シンセサイザーを使用したフュージョンサウンドも並行して、演奏してきた。その他、長年ピアノソロの研究を行っており、異質とも思える多様な音楽を同時に身に付け、自己の音楽に昇華するのが、土井一郎の音楽性とも言える。

ディスコグラフィ

  • 主なリーダーアルバム
  • 日本クラウン
    • Sometime Later (1990)
    • Tao (1991)
    • Just Me (1993)
    • Just Me Again (1994)
    • Bitter Sweet (1997)
    • Another Paradise (2002)
  • スタジオソングス
    • 24 Preludes and Fugues (2011)
    • Hauntingly (2013)
    • Bounce Back (2016)
  • 主な参加アルバム
    • Let Me Love You (1976)
    • Leeward (1978)
    • Mongolian Chant (1980)
    • Bamboo Dance (1980)
    • Samba Club (1980)
    • Three Cushions (1981)
    • Face To Space (1984)
    • Hot Fruits (1985)
    • Elsa (1985)

脚注

出典

  1. ^ 『24のプレリュードとフーガ』楽譜・CD(STUDIO SONGSから2011年10月発売)ライナーノート(小沼純一)。

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