国枝強とは? わかりやすく解説

国枝強

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/01 14:57 UTC 版)

国枝 強
名前
カタカナ クニエダ ツヨシ[1]
ラテン文字 KUNIEDA Tsuyoshi
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1944-09-18) 1944年9月18日(79歳)[1]
出身地 広島県
身長 165cm[2]
体重 64kg
選手情報
ポジション DF
ユース
1960-1962 山陽高校
1963-1966 中央大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1967-1972 東洋工業 38 (3)
通算 38 (3)
代表歴
1969[3] 日本 2 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

国枝 強(くにえだ つよし、1944年9月18日 - )は、広島県出身の元サッカー日本代表選手(DF)[4]

来歴

高校時代は山陽高等学校へ入学し、渡部英麿から厳しい指導を受けた。

1960年代後期~1970年代東洋工業(のちのマツダSC、現サンフレッチェ広島)に所属、60年代後期の東洋工業黄金期を支えたフルバック。1969年、1970年の2年連続天皇杯決勝進出に貢献している。

また日本代表としてもワールドカップメキシコ大会予選など、国際Aマッチ2試合に出場した[3]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 - 天皇杯 期間通算
1967 東洋 JSL 13 -
1968 4 -
1969 -
1970 8 -
1971 - -
1972 JSL1部 -
通算 日本 JSL1部 38 3 -
総通算 38 3 -

代表歴

出場大会など

試合数

  • 国際Aマッチ 2試合 0得点(1969)[3]


日本代表国際Aマッチ その他期間通算
出場得点 出場得点出場得点
1969 2 0 0 0 2 0
1970 0 0 3 0 3 0
通算 2 0 3 0 5 0

出場

No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 1969年10月16日 ソウル  オーストラリア △1-1 長沼健 ワールドカップ予選
2. 1969年10月18日 ソウル  韓国 ●0-2 ワールドカップ予選

出典

  1. ^ a b 『日本代表公式記録集2008』 日本サッカー協会、2008年、537頁。
  2. ^ 週刊サッカーマガジン 1967年5月12日号 24頁
  3. ^ a b c “国枝 強”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_ka/tsuyoshi_kunieda.html 
  4. ^ 『広島県高体連 サッカー部のあゆみ』井上國三編 広島県高体連サッカー部、2000年、209頁。

関連項目

外部リンク






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