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和田伝太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/28 05:56 UTC 版)

和田 伝太郎(傳太郎、わだ でんたろう、1878年明治11年〉10月26日[1][2] - 没年不明[2])は、大正から昭和時代戦前の政治家実業家静岡県沼津市長。名は義猛[3]、前名は貢実[4]

経歴

静岡県出身[4][5]。先代伝太郎の長男[4][5]。1896年(明治29年)慶應義塾予科中退[1]。1905年(明治38年)家督を相続し、1916年(大正5年)前名を改めた[4]。御殿場銀行、静岡県農工銀行各取締役を務めたのち、沼津銀行、沼津瓦斯、日東精麦倉庫、藤沢精麦倉庫、静岡瓦斯、東海自動車、駿豆肥料各取締役を兼ねた[5]。1917年(大正6年)6月、沼津町会議員に当選した[1]

1923年(大正12年)7月、沼津町楊原村の対等合併により沼津市が発足すると、同年9月に同市会議員[1]、同年12月に初代市長に選出された[5]。在任中は関東大震災に見舞われ、沼津精華女学校沼津淑徳女学院の設立があった[5]。1925年(大正14年)12月まで務めた[5]

その後、1930年(昭和5年)12月に再度市長に返り咲き、商工会議所の新築、沼津港の開港に尽力[6]。1933年(昭和8年)7月まで務めた[6]。ほか、日本赤十字社特別会員、沼津倉庫監査役、旭自動車運輸社長、静岡製紙取締役[1]、日本汽船漁業取締役、不二商会監査役を歴任した[4]

親族

脚注

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参考文献




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