千手寺_(東大阪市)とは? わかりやすく解説

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千手寺 (東大阪市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/12 06:02 UTC 版)

千手寺
本堂
所在地 大阪府東大阪市東石切町3-3-16
位置 北緯34度40分55.6秒 東経135度39分9.3秒 / 北緯34.682111度 東経135.652583度 / 34.682111; 135.652583座標: 北緯34度40分55.6秒 東経135度39分9.3秒 / 北緯34.682111度 東経135.652583度 / 34.682111; 135.652583
山号 恵日山
宗派 真言毘盧舎那宗
寺格 大本山
本尊 千手観音菩薩
創建年 白鳳時代
開基 (伝)役行者
中興 (伝)在原業平
別称 光堂
札所等 河内西国霊場第10番
役行者霊蹟札所
文化財 木造不動明王坐像(府指定文化財)
木造不動明王立像・木造千手観音立像ほか(市指定文化財)
法人番号 3122005000448
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護摩堂

千手寺(せんじゅうじ)は、大阪府東大阪市にある真言宗系真言毘盧舎那宗の寺院。河内西国霊場第10番札所。

歴史

寺伝によれば、笠置山の千手窟で修行していた役行者が、神炎の導きにより、この地で千手観音の出現に出会い、堂宇を創建。

平安時代初期、弘法大師がこの寺に泊まった際、善女竜王が夢に現れ、補陀落山の香木を与えた。大師はこの木で千手観音像を刻し本尊とした。

その後、惟喬親王の乱で堂宇は消失したが、本尊の千手観音は深野池(現大東市鴻池新田あたり)に自ら飛入り、夜ごとに光を放った。それを見た在原業平がこれを救い出し、寺を再建した。

しかし、惟喬親王の乱は史実ではなく、これらの寺伝はあくまで伝説に過ぎない。

文化財

大阪府指定文化財

東大阪市指定文化財

  • 木造不動明王立像(厨子入)
  • 木造千手観音立像
  • 絹本著色不動明王画像
  • 密教法具

札所

河内西国霊場
9 光明寺 -- 10 千手寺 -- 11 来恩寺

交通

脚注

  1. ^ 府指定の文化財一覧(彫刻)”. 大阪府. 2019年7月10日閲覧。

参考文献

  • 大阪歴史文化研究会『大阪 御朱印を求めて歩く 札所めぐりルートガイド』メイツ、2016年5月。ISBN 978-4-7804-1754-8 

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