十輪寺 (埼玉県小鹿野町)とは? わかりやすく解説

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十輪寺 (埼玉県小鹿野町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/12 23:12 UTC 版)

十輪寺
本堂
所在地 埼玉県秩父郡小鹿野町小鹿野1823
位置 北緯36度1分14.3秒 東経139度0分13.3秒 / 北緯36.020639度 東経139.003694度 / 36.020639; 139.003694座標: 北緯36度1分14.3秒 東経139度0分13.3秒 / 北緯36.020639度 東経139.003694度 / 36.020639; 139.003694
山号 常木山
宗派 真言宗智山派
本尊 十一面観音
創建年 不詳
中興年 不詳
中興 盛賢
法人番号 7030005015075
十輪寺
十輪寺 (埼玉県)
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十輪寺(じゅうりんじ)は、埼玉県秩父郡小鹿野町にある真言宗智山派寺院

歴史

創建年代は不明である。中興したのは盛賢であることは分かっているが、盛賢もいつの時代の人物であるかは不明である。かつては約5(約545メートルに位置していたが、享保年間(1716年 - 1736年)に現在地に移転した[1]

補陀場十五番

当寺の門の前には、いくつかの石碑がある。その中に「補陀場十五番」と刻まれた石碑がある。「補陀場」とは秩父三十四箇所のことである。現在、秩父三十四箇所の第15番札所は少林寺であるが、かつては「蔵福寺」が第15番札所であった。蔵福寺は秩父神社別当寺であり、明治初期の神仏分離の際に廃寺となってしまった。当寺の末寺の「泉蔵院」も秩父神社にあり廃寺となった。当寺では、撤去費用10を秩父神社に支払い、蔵福寺と泉蔵院の什物を引き取った。「補陀場十五番」の石碑は、この故事に由来する[1]

当寺の本尊は、かつては阿弥陀如来であったが、1883年(明治16年)の火災で焼失し、現在は十一面観音が本尊となっている。これは蔵福寺か泉蔵院にあったものといわれている[1][2]

文化財

  • 絹本着色十三仏像(埼玉県指定有形文化財 昭和29年10月23日指定)[3]
  • 木造金剛力士立像(埼玉県指定有形文化財 昭和38年3月29日指定)[4]
  • 木造十一面観音坐像(小鹿野町指定文化財 昭和34年8月24日指定)[2]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c 敏蔭英三 写真、秋山喜久夫 文『写真紀行 埼玉の寺 Ⅲ』埼玉新聞社、1982年、190-195p
  2. ^ a b 文化財ガイドマップ小鹿野町
  3. ^ 埼玉県文化財目録埼玉県、54p
  4. ^ 埼玉県文化財目録埼玉県、59p

参考文献

  • 敏蔭英三 写真、秋山喜久夫 文『写真紀行 埼玉の寺 Ⅱ』埼玉新聞社、1981年



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