北条時見とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 北条時見の意味・解説 

北条時見

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/26 14:11 UTC 版)

 
北条時見 / 名越時見
時代 鎌倉時代後期
生誕 不詳
死没 不詳
別名 江馬(江間)時見、越前入道
官位 越前
氏族 名越流北条氏
父母 父:北条篤時、母:不詳
兄弟 秀時、公篤、時見、時成
テンプレートを表示

北条 時見(ほうじょう ときみ)は、鎌倉時代後期の武将、名越流北条氏の一門。名越 時見(なごえ ときみ)、江馬(江間) 時見(えま ときみ)とも呼ばれる。

生涯

元弘元年(1331年)9月、元弘の乱において、北条高時によって金沢貞冬足利高氏らとともに畿内に派遣された[1][2]

元弘2年/正慶元年(1332年)9月、畿内の反幕勢力討伐のため、淡河時治とともに北陸道7ヶ国の軍勢を率いて東坂本(現滋賀県大津市)を経て上京に上洛した[3]

元弘3年/正慶2年(1333年)、楠木正成討伐のための千早城の戦いに参加し、3000の兵で水辺に陣を構え、城から降りてくる兵を討とうと画策している[4]

脚注

  1. ^ 『金沢貞顕』136頁。
  2. ^ 『太平記』巻三「笠置軍事付陶山小見山夜討事」
  3. ^ 『太平記』巻六「関東大勢上洛事」
  4. ^ 『太平記』巻七「千剣破城軍事」

参考文献

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「北条時見」の関連用語

北条時見のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



北条時見のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの北条時見 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS