劉基
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劉 基(りゅう き、至大4年6月15日(1311年7月1日) - 洪武8年4月16日(1375年5月16日))は、中国元末明初の軍人・政治家・詩人・軍師。字は伯温。諡は文成。浙江省処州路青田県南田の出身。出身地の青田県とよばれたことから劉青田とも称される。
- ^ 中でも至正19年(1359年)に招聘した「浙東の四先生」が名高い。四先生とは、浦江の宋濂・竜泉の章溢・麗水の葉琛、そして、青田の劉基をいう。
- ^ つまり朱元璋は自分を劉邦になぞらえているわけである。劉基は朱元璋に「劉邦のようにすれば天下を取ることができる」と進言している。
- ^ 劉基の死因は胡惟庸による毒殺であるという説が有力である。
- ^ 日本でいうお焼きのようなもの。油を加えて軟らかく練った小麦粉で作った皮で、ひき肉や野菜のアンを包んで鉄板の上で焼いたもの。
- ^ ミシェル・ノストラダムス師の予言集の中国版であるが、中国にはこのような予言詩集が複数伝わっている。『推背図』は日本でもその存在が良く知られている。
- ^ 有名なものに、四柱推命の古典である「滴天髄」がある。
- ^ 日本の水戸黄門のように、腕利きの供を連れて諸国を漫遊し各地で悪を懲らしめるという『劉伯温伝奇』が有名。
- ^ 『明史』巻一百二十八、列伝第十六
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