劉信 (汝陰侯)とは? わかりやすく解説

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劉信 (汝陰侯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 09:29 UTC 版)

劉 信(りゅう しん、生没年不詳)は、中国代から後漢時代初期にかけての武将・政治家。荊州南陽郡蔡陽県(湖北省棗陽市)の人。父は劉顕。叔父は劉賜。従父は更始帝(劉玄)。後漢の光武帝(劉秀)の族甥にあたる。前漢末期に反王莽の挙兵を行い、翟義天子として擁立された厳郷侯劉信とは別人である。


  1. ^ 後漢書』劉賜伝註の『続漢書』の引用によれば、先ず酔っ払った釜亭侯長が、劉玄(後の更始帝)の父の劉子張を罵り、劉子張は怒ってこの釜亭侯長を刺殺した。次に十余年後、この釜亭侯長の子が復仇として劉玄の弟の劉騫を殺害し、従兄弟である劉顕はこれの仇を討とうとした。
  2. ^ 『続漢書』によれば釜亭侯長の妻子4人を焼き殺した。
  3. ^ 張隆などの荊州南部の有力地方官たちは、この当時、それぞれの拠点で自立・割拠していた。これらの地方官たちが光武帝に服従したのは、岑彭による懐柔工作が成功した建武6年(30年)頃のことである(『後漢書』岑彭伝)。


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