出生から鹿王院まで
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1853年(嘉永6年10月18日)、京都市烏丸四條下る橋本伊兵衛の四男として生れる。その後、1857年(安政4年)頃までは、京都洛北岩倉の里城守家に養育してもらっていたが、その年の秋になると嵯峨野の鹿王院に入り1859年(安政6年)には昌禎の名をもらって出家して、義堂昌碩の下で修行する。1868年(明治1年5月10日)には師匠の義堂昌碩が遷化。翌年の7月になると、伊深の正眼僧堂に移って泰龍文彙に師事した。正眼僧堂での修行が十年過ぎた1880年(明治13年1月26日)には泰龍文彙が遷化。その後同年の5月13日には嵯峨の鹿王院住職を拝命し、翌年の9月には伊深から鹿王院へ転錫した。
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