出漁体制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 16:53 UTC 版)
袖志の海女集団には、「地海(じうみ)」と呼ばれる袖志の近海を漁をし日帰りで帰る者達と、泊りがけで遠征する「よそ行き」とがあった。昭和初期には10艘のトモブト(艫太)が活動し、そのうち約半数が地海(日帰り)で操業し、残る半数が遠方まで足を延ばした。10艘のうち6~7艘が但馬方面に出漁し、さらにその中から一部の船が兵庫県香住や、鳥取県賀露まで足を延ばしたという。
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