内藤元泰 (中務丞)とは? わかりやすく解説

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内藤元泰 (中務丞)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/29 14:43 UTC 版)

 
内藤元泰
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 不詳
別名 次郎太郎(通称
官位 中務丞
主君 毛利興元幸松丸元就
氏族 藤姓内藤氏
父母 父:内藤泰廉
元康

内藤 元泰(ないとう もとやす)は、戦国時代武将安芸国国人毛利氏の家臣。

生涯

安芸国高田郡長田郷を本拠とする国人安芸内藤氏の当主である内藤泰廉の子として生まれる。明応6年(1497年4月22日、安芸内藤氏が代々受け継いできた長田郷の地頭職や御下文御教書を元泰へ譲る旨を記した譲状を父から与えられ、家督を相続した。

永正15年(1518年8月30日、元泰は毛利元就に従って備後国世羅郡赤屋に出陣。この時の赤屋の領主が誰で、何故元就が赤屋を攻めたかは史料がなく不明であるが、粟屋元親の名代である長八郎左衛門が戦死し、粟屋元秀や保垣刑部左衛門が負傷するなど、激しい合戦となった(赤屋・小国の合戦)。同年9月2日、赤屋から退く途中の世羅郡小国において敵の追撃を受けたが、元泰らが奮戦し敵を撃退した。この功によって、同年10月2日毛利幸松丸から感状を与えられた。

これ以後の元泰の動向は不明。なお、元泰の曾孫も同じく内藤元泰と名乗っている。

参考文献




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