八劔神社・神明社とは? わかりやすく解説

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八劔神社・神明社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/16 05:27 UTC 版)

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八劔神社・神明社
所在地 愛知県西尾市一色町佐久島字西屋敷40
位置 北緯34度43分20.7秒 東経137度02分55.5秒 / 北緯34.722417度 東経137.048750度 / 34.722417; 137.048750 (八劔神社・神明社)座標: 北緯34度43分20.7秒 東経137度02分55.5秒 / 北緯34.722417度 東経137.048750度 / 34.722417; 137.048750 (八劔神社・神明社)
創建 万寿年間(1024年 - 1028年)
本殿の様式 流造
地図
八劔神社・神明社
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八劔神社・神明社(はっけんじんじゃ・しんめいしゃ)は、愛知県西尾市一色町佐久島字西屋敷40にある神社。社殿は八劔神社と神明社の合殿である。

歴史

平安時代の万寿年間(1024年 - 1028年)、天台宗の薬師寺の鎮守として八劔神社が勧進されたとされる[1]。薬師寺は後に焼失した。

神明社はもともと西港(西区)に祀られていたが、1873年(明治6年)に東港(東区)の八剱神社に遷座されて合殿とされた。この際に八日講祭も両社合同の祭礼となった[2]

境内

  • 佐久島八劔神社・神明社秋の大祭 - 毎年10月中頃。大漁と豊作を祈願する。東港の太鼓は西尾藩の本田家で使用されていたものであり、サクラの丸太をくりぬいて製作されたものである。
  • 佐久島八劔神社・神明社合殿八日講祭

文化財

県指定有形文化財

  • 八劔神社本殿[1]
    • 1964年(昭和39年)3月23日指定。一間社、流造、木羽葺。江戸時代初期の寛永年間(1624年から1645年)頃の再建とされる。正面の蟇股や木鼻の造形が優れているとされる。1988年(昭和63年)に解体修理が行われた。覆殿に納められており、左に八劔神社本殿が、右に神明社本殿がある。
  • 神明社本殿[3]
    • 1964年(昭和39年)3月23日指定。一間社、流造、木羽葺。江戸時代初期の寛永15年(1663年)の建築とされる。1988年(昭和63年)に解体修理が行われた。覆殿に納められており、左に八劔神社本殿が、右に神明社本殿がある。

市指定無形民俗文化財

  • 佐久島八劔神社・神明社合殿八日講祭[4]
    • 1977年(昭和52年)12月7日指定。毎年1月8日。宝暦6年(1756年)以前から伝わる。神官が祝詞を捧げた後、2人の厄男が大声で合言葉を唱え、「鬼」と書かれた参道の凧に向かって矢を射る。神事に使用された凧は災難を除くとされ、神事の終了後には子どもらが凧を奪い合う。神事後には餅投げも行われる。

現地情報

所在地
アクセス

脚注

関連項目

外部リンク




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