入来院重朝とは? わかりやすく解説

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入来院重朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/01 10:18 UTC 版)

 
入来院重朝
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
別名 通称:又五郎
戒名 心翁定安大禅寺
官位 石見
氏族 入来院氏
父母 父:入来院重聡
兄弟 祁答院重貴室、東郷重朗室、重朝
高城重弼室、雪窓夫人(島津貴久継室)、
平太次郎
養兄弟:重貞(高城重隆の次男)
重嗣、副田重郷、岡本重博、男子
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入来院 重朝(いりきいん しげとも)は、戦国時代武将入来院氏12代当主。

生涯

入来院重聡の嫡子として誕生。天文8年(1539年)、父と共に島津貴久による薩州家島津実久方の市来攻めに参加、市来平城を攻め落としたが、父が老体を理由に暇を告げたために、以後は重朝が代わって自軍を率い、続く市来本城(市来鶴丸城)攻めにも参加し功を為した。また、同年8月には薩州家に奪われていた百次城を取り返し、翌9月には隈之城をも奪い返した。

以後も変わらず島津氏宗家に付き従っていたが、天文13年(1544年)重朝が東郷氏祁答院氏に与して叛乱するという噂が立つ。重朝は貴久へ弁明したが聞き入れられず、出仕停止を言い渡された上に、翌年の8月に郡山城を没収された。これを恨んだ重朝は貴久に反旗を翻した。

没年は不明ながら7月16日に死去。

参考文献




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