光明寺_(四日市市泊山崎町)とは? わかりやすく解説

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光明寺 (四日市市泊山崎町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/13 07:17 UTC 版)

光明寺

本堂
所在地 三重県四日市市泊山崎町3-5
位置 北緯34度56分23秒 東経136度35分52.4秒 / 北緯34.93972度 東経136.597889度 / 34.93972; 136.597889座標: 北緯34度56分23秒 東経136度35分52.4秒 / 北緯34.93972度 東経136.597889度 / 34.93972; 136.597889
山号 囲瀬山
宗派 真言宗豊山派
本尊 聖観世音菩薩
創建年 聖武天皇のころ(724年 - 749年
開基 行基菩薩
別称 泊山観音
札所等 三重四国八十八箇所 11番札所
法人番号 1190005009018
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光明寺(こうみょうじ)は、三重県四日市市にある、真言宗豊山派の仏教寺院。山号は 囲瀬山(いせいざん)。本尊は観音菩薩

歴史

聖武天皇724年 - 749年)のころ、行基菩薩によって、現在地の西側にある、泊山の高台に、開山されたと伝えられ、本尊の聖観音像は、弘法大師(空海)一刀三礼の作といわれる。

その昔、西国三十三観音霊場を再興した花山法皇谷汲山参詣後、京への帰路、当山にて一泊したときに、法皇が本尊を拝されると、妖しくも光明が輝いたので奇異に感じ入り、寺号を光明寺と称するよう勅したと伝えられ、法皇がこの地に泊まられたことを機に、地名を泊村と呼ぶようになったとされている。

いま一つの伝承として、弘法大師が本尊作成の折、毎夜多くの仏に囲まれ、水を望まれるので、井戸より仏前に供える水を汲んだところ、一体の石仏を汲み上げたという。大師は驚き早速本堂に安置し供養したといい、天正の兵火にも本尊と共に難を免れた。石尊仏は花山法皇の御縁から西国三十三観音の化身であると解し、西国三十三観音霊場の土を運び、小霊場を建立した。

太平洋戦争中に現在の地に移り、堂宇を再建した。境内の南側にある観音堂には、かつて泊山にあった、西国三十三観音霊場の仏像が納められている。

所在地

  • 三重県四日市市泊山崎町3-5

年中行事

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アクセス

参考文献

  • 滝本昭二『三重四国八十八ヵ所霊場』三重四国八十八ヵ所霊場会

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