信田一風とは? わかりやすく解説

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信田一風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/18 03:50 UTC 版)

信田 一風(のぶた いっぷう、明治14年(1881年) - 昭和18年(1943年)、本名:信田直四郎)は、明治〜昭和時代の日本画家

経歴

明治14年、栃木県根本(真岡市)の漢方医者の二男として生まれる。漢学を東台村の随光寺の覚菩姉に師事するも、塾内にては専ら絵筆を振り破門(当時13歳)。その後、画工矢橋夫箔の門に入り、花、鳥、山水、人物、と師法を学び、明治29年の秋、東京の鳥越に住する。その後、容斎派の松本楓湖に師事。帝展(現日展)等にも出品。特に人物画を得意とし、歴史画、仏画の百観音なども得意とする。明治39年と43年に福島地方にて画会を開く。昭和に入り、南千住の石浜神社に「天照大神」「猿田彦大神天孫降臨の画」を奉納。また、現存する一風の画として新潟県の弥彦神社 の皇族の間には「太平楽」「朝焼け富士の街」がある。栃木県真岡市の能仁寺本堂の間には「円頂のつる」がある。昭和18年12月没。享年63。

主な作品

絵画

  • 太平楽(新潟県弥彦神社の皇族の間に収蔵)
  • 円頂のつる(栃木県真岡市能仁寺本堂の間)

出典

  • 『秘録』(七星社出版)、1959年(昭和34年)6月。

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