伊藤良秋とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 伊藤良秋の意味・解説 

伊藤良秋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/10 01:24 UTC 版)

伊藤 良秋(いとう よしあき、1893年(明治26年) - 1972年(昭和47年)7月30日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将

経歴

1893年(明治26年)、広島県に生まれる。1912年、旧制修道中学校(現:修道中学校・高等学校)を卒業[1]。9月9日、海軍兵学校43期に入校。1915年12月16日、同校を卒業し、少尉候補生に任命される。1916年12月1日、少尉任官。1921年12月1日、大尉に昇進。1925年12月、横須賀航空隊分隊長に就任。1927年12月1日、少佐に昇進。1928年12月、横須賀航空隊飛行長に就任。1933年11月、中佐に昇進。1937年12月、霞ヶ浦航空隊教官。1938年4月6日、第十四航空隊副長に就任。11月、大佐に昇進。12月、佐伯航空隊司令に就任。1939年11月、大村航空隊司令に就任。1941年6月、高雄航空隊司令に就任。12月、太平洋戦争が始まり、フィリピンのアメリカ軍飛行場、マニラ湾停泊艦船への爆撃を指揮する。1942年4月、宇佐航空隊司令に就任。1943年1月、霞ヶ浦航空隊司令に就任。1943年8月、第23航空戦隊司令官に就任。ラバウルソロモンの航空戦を指揮した。1943年11月、少将に昇任。1944年10月、第13連合航空隊司令官に就任。1945年5月5日、第三航空艦隊所属の第13航空戦隊司令官に就任。本土決戦に備えるが、8月に終戦。9月15日、予備役に編入[2][3]。1947年11月、公職追放の仮指定を受ける[4]。1972年7月30日、逝去、享年78。

脚注

  1. ^ 修道学園中高同窓会名簿第36号49頁
  2. ^ 日本海軍将官辞典254頁
  3. ^ 日本海軍将官総覧49頁
  4. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、19頁。NDLJP:1276156 

参考文献

  • 太平洋戦争研究会「日本海軍将官総覧」PHP研究所2010年
  • 福川秀樹「日本海軍将官辞典」芙蓉書房出版2000年

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「伊藤良秋」の関連用語

伊藤良秋のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



伊藤良秋のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの伊藤良秋 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS