伊藤治興とは? わかりやすく解説

伊藤治興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/06 15:26 UTC 版)

伊藤 治興(いとう はるおき、寛永2年(1662年)‐寛保元年(1741年)4月23日)は、江戸時代中期の武士。姫路藩村上藩古河藩の藩主となった本多家の家臣。主に本多忠国本多忠孝本多忠良の3代に仕えた。赤穂浪士四十七士の一人・吉田兼亮の娘婿にあたる。通称十郎大夫(じゅうろうだいふ)、晩年に八郎右衛門(はちろうえもん)。


  1. ^ 伊藤武雄・翻刻『赤穂義士寺坂雪冤録』(昭和10年、花岳寺所蔵)
  2. ^ 吉田兼亮は「吉右衛門は不届き者である。二度とその名を聞きたくない」と熊本藩士・堀内に語っている(熊本藩「堀内伝右衛門覚書」)


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