伊藤武雄_(中国研究者)とは? わかりやすく解説

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伊藤武雄 (中国研究者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/12 20:01 UTC 版)

中央の人物が本項目で取り上げる伊藤武雄(他の4人は同姓同名の人物である。1951年撮影)

伊藤 武雄(いとう たけお、1895年3月1日 - 1984年9月5日)は、日本の中国研究者日中友好協会副会長を務めた。

人物

愛知県渥美郡田原町(現・田原市)生まれ[1]。1920年東京帝国大学法学部政治学科卒、南満州鉄道勤務。満鉄時代の1943年、満鉄調査部事件で検挙され、10カ月投獄された[2]

第二次世界大戦後、1946年には中国研究所の設立に参加[3]したほか、日中友好協会副会長を務めた。また、日中文化交流協会を設立し、ジャパンプレス会長を務めた。

著書

  • 『現代支那社会研究』同人社書店 社会思想叢書 1927
  • 玉松操 復古の碩師』金雞学院 人物研究叢刊 1927
  • 日本書紀の叙説並研究』金雞学院 聖賢遺書新釈叢刊 1928
  • 『滿洲ニ於ケル日本ノ權益小史』編輯 南滿洲鐵道 滿鐵國際叢書 1932
  • 『滿洲文化の發展』滿洲文化協會 滿蒙講座 1932
  • 『読書会心抄』金雞学院 1934
  • 赤穂義士寺坂雪冤録』皇国士風会 1935
  • 『興言論 ことあげの本質』金雞学院 1936
  • 『黄竜と東風』国際日本協会 1964
  • 『満鉄に生きて』勁草書房 中国新書 1964

共編著

  • 中江丑吉書簡集』鈴江言一、加藤惟孝共編 みすず書房 1964
  • 『現代史資料 第31‐33 満鉄』荻原極、藤井満洲男共編 みすず書房 1966-1967
  • 『われらの生涯のなかの中国 六十年の回顧』共著 阪谷芳直戴国煇編 みすず書房 1983

参考文献

  • 『満鉄に生きて』著者紹介
  • 『官報』1920年7月29日
  • 『人物物故大年表』
  • 『新美日中友好碑 先覚・伊藤武雄先生』伊藤武雄先生を顕彰する会 2011年

脚注

  1. ^ 20世紀日本人名事典(コトバンク)
  2. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus コトバンク
  3. ^ 岩波書店編集部 編『近代日本総合年表 第四版』岩波書店、2001年11月26日、351頁。ISBN 4-00-022512-X 



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