伊伐於慮テイ単于
(伊伐於慮鞮単于 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/26 01:21 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動![]() |
本来の表記は「伊伐於慮鞮単于」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。 |
伊伐於慮鞮単于(いはつおりょていぜんう、ピン音:Yīfáwūlǜdīchányú, ? - 59年)は、中国後漢時代の南匈奴の単于。烏珠留若鞮単于の子、丘浮尤鞮単于の弟。伊伐於慮鞮単于というのは称号で、姓は虚連題氏、名は汗という。
生涯
烏珠留若鞮単于の子として生まれる。
中元2年(57年)、兄の丘浮尤鞮単于が薨去すると、汗が伊伐於慮鞮単于として即位した。
永平2年(59年)、北匈奴の護於丘は千余人の衆を率いて南匈奴に来降した。この年、伊伐於慮鞮単于汗は薨去し、甥の適(醢僮尸逐侯鞮単于)が立った。
参考資料
- 『後漢書』(南匈奴列伝)
|
- 伊伐於慮テイ単于のページへのリンク