井上健 (サッカー選手)とは? わかりやすく解説

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井上健 (サッカー選手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/30 15:31 UTC 版)

井上 健
名前
カタカナ イノウエ タケシ[1]
ラテン文字 INOUE Takeshi
基本情報
国籍 日本
生年月日 1928年9月30日
出身地 兵庫県西宮市
没年月日 (1992-04-05) 1992年4月5日(63歳没)
選手情報
ポジション MF
ユース
第一神戸中学校
1948-1951 関西学院大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1952-1960 新三菱重工
代表歴
1953-1954[2] 日本 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

井上 健(いのうえ たけし、1928年9月30日 - 1992年4月5日[3])は日本サッカー選手日本サッカーリーグ(JSL)第3代総務主事。

ポジションは主にハーフバック(現在のミッドフィールダー)。正確なボールコントロールとキックを持ち味とした。守備だけでなく攻撃も得意で、時にはインナーフォワード(現在の攻撃的MFに相当)としてもプレーした。

経歴

1928年、兵庫県西宮市に生まれる。1947年春に兵庫県立第一神戸中学校 (現:兵庫県立神戸高等学校) を卒業。大学は一旦は医科大学に進学するも、サッカーをやりたい一心で関西学院大学に入りなおした。サッカー部のチームメイトには長沼健平木隆三らがいる。卒業後、1952年から1960年までは新三菱重工でプレーし、1956年の都市対抗選手権準優勝などの成績を残す。

日本代表としても1953年から1954年までプレーし、1954 FIFAワールドカップ・予選の1954年3月7日の韓国戦の1試合目で国際Aマッチ1キャップを記録した。また、1953年には西ドイツドルトムントで開催された国際学生スポーツ週間(ユニバーシアードの前身)の日本代表に選ばれた。この代表は後年に関係者が「戦後第一期サッカー士官学校生」と言い表したように、単に試合をするだけではなく、将来の日本サッカー界を担う人材にヨーロッパで見聞を広めさせることも目的としていた。

引退後はしばらくサッカー界から離れていたが、1972年から1976年までJSL第3代総務主事、1974年から1983年まで日本サッカー協会理事を務めた[3]

1992年に死去、享年64歳[3][4]

所属クラブ

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 1試合 0得点(1954)[2]


日本代表 国際Aマッチ その他 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点
1953 0 0 1 0 1 0
1954 1 0 0 0 1 0
通算 1 0 1 0 2 0

出場

No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 1954年03月07日 東京都 明治神宮外苑競技場  韓国 ●1-5 竹腰重丸 ワールドカップ予選

参考文献

脚注

  1. ^ 『日本代表公式記録集2008』 日本サッカー協会、2008年、511頁。
  2. ^ a b “井上 健”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_a/takeshi_inoue.html 
  3. ^ a b c 日外アソシエーツWhoplus「井上 健(イノウエ タケシ,日本サッカー協会理事,日本サッカーリーグ総務主事)」整理番号387304
  4. ^ ドルトムントで6位、ロンドンで試合 欧州で見聞を広めた現代のリーダーたち”. 賀川サッカーライブラリー (2011年11月29日). 2014年9月11日閲覧。

外部リンク




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