久我護とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 久我護の意味・解説 

久我護

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/21 06:48 UTC 版)

久我 護(くが まもる、1998年4月4日 - )は千葉県千葉市出身のイベントレーサーである。

人物 略歴

憧れている選手は加賀山就臣。本人曰く「ほんの少しだけ面識はあるが、アイドルとヲタクのような関係」だと話している。

高等学校卒業後、父親と同じ職である海上自衛隊に入隊し4年間勤める。

2021年海上自衛隊を退職後カワサキプラザ桑名に就職をする。カワサキプラザで働いていくうちにレーサーとしての興味が湧き、Ninja Team Green Cupへの参戦が決まる。

同年8月8日鈴鹿サーキットにて行われた同レースにてTrident poword by カワサキプラザ桑名RTからレースデビュー。予選では16位だったものの、決勝では10位まで順位を上げてデビュー戦を終える。このとき使用したライムグリーンカラーのNinja ZX-25Rはカワサキプラザ桑名の試乗車であり、本人曰く「転倒できないプレッシャーと闘っていた」とのこと。

この年のレースはこの1戦のみとなった。

2022年は同レースにZERO-BASE & Funky Z Racingからフル参戦することを発表。

5月15日に鈴鹿サンデーロードレース枠内で初めて行われた初戦は予選8位から快調にスタートし、決勝では一時は3位まで上がるも4番手に落ちる。5周目のスプーンカーブにて転倒。すぐさま立ち上がり、再スタートを切り13位でチェッカーを受ける。

6月5日のSPA直入戦は前回の転倒の影響により参戦回避となり、事実上フル参戦が叶わないものとなった。

7月10日モビリティリゾートもてぎ戦では予選18位でギリギリ通過する。決勝レースでもスタートが遅れ、初の周回遅れになり18位のままフィニッシュ。初走行のコースであったが、本人は「鈴鹿での転倒恐怖心が抜けず全力で走れなかった」とコメントしている。

また、9月に行われる岡山国際サーキットでのレースは上述の理由により10月の鈴鹿戦へ向けた調整のため参戦を回避することとなった。




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  久我護のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

久我護のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



久我護のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの久我護 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS