久利富周介とは? わかりやすく解説

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久利富周介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 16:55 UTC 版)

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くりとみ しゅうすけ
久利冨 周介
本名 長島 勝重 (ながしま かつしげ)
別名義 久利冨 周助
久利冨 秀介
東 健兒 (あずま けんじ)
東 健次
久里登美 周平 (くりとみ しゅうへい)
生年月日 1905年
没年月日 1927年3月1日
出生地 日本
職業 俳優
ジャンル 新派劇映画時代劇現代劇剣戟映画サイレント映画
活動期間 1923年頃 - 1927年
配偶者
主な作品
『正剣邪剣』
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久利富 周介(くりとみ しゅうすけ、1905年 - 1927年3月1日)は、日本の俳優である[1][2]久利冨 周介と表記されることもある。本名は長島 勝重(ながしま かつしげ)[1][2]久利冨 周助久利冨 秀介と表記に揺れがある。旧芸名は東 健兒(あずま けんじ)[1][2]東 健次[1][2]久里登美 周平(くりとみ しゅうへい)[2]

来歴・人物

1905年(明治35年)に生まれる[1][2]

詳細な年月日は不明だが、映画界に入る以前は筒井徳二郎一座に所属していた[1][2]。1925年(大正14年)、マキノ・プロダクションに入社する[1][2]。入社当初は東健児という芸名で活動していたが、同所の映画監督である寿々喜多呂九平(1899年 - 1960年)が、去る1924年(大正13年)5月8日に公開された後藤秋声監督映画『血桜』で阪東妻三郎(1901年 - 1953年)の演じた平戸美周介にちなんで、久利富周介と命名されたといわれている[1][2]。以後、同所の悪役俳優として多数の作品に出演した。

また、2004年(平成16年)10月15日に発行された『日本映画人改名・改称事典』(国書刊行会)によれば、東健而で筒井徳二郎一座に入り、愚教師というペンネームを用いた事もあるという旨が記されているが、徳川夢声(1894年 - 1971年)を養成した事で知られる愚教師こと東健而(1889年 - 1933年)の誤植と思われる[2]

1927年(昭和2年)2月27日からロケーション撮影が開始された牧野省三監督映画『忠魂義烈 実録忠臣蔵』において、久利富は同年2月28日にかけて大雪の彦根城月形龍之介(1902年 - 1970年)扮する清水一角に斬られて池に放り込まれる浪士役を演じたが、それがもとで流行性感冒を発症し、入院する[1]。回復の見込みも無いまま、翌日の同年3月1日に流行性感冒、急性肺炎の併発症のため急逝した[1][2]。満22歳没。撮影所葬は同年3月6日に行われた[1]。なお、久利富の未亡人・長島フユは、同年7月7日に同じくマキノ・プロダクションに在籍していた小宮一晃(1902年 - 没年不詳)と再婚している。

久利富の来歴ついて記載されている資料はほとんど存在しない。また、キネマ旬報映画データベースにおいても久利富の項目は確認できない。

出演作品

マキノ・プロダクション御室撮影所

特筆以外、全て製作は「マキノ・プロダクション御室撮影所」、配給は「マキノ・プロダクション」、全てサイレント映画、特筆以外は全て「久利富周介」名義である。

  • 『中山安兵衛』:監督畑中蓼坡、1925年9月18日公開 - 職人半次 ※「東健次」名義
  • 『寺小屋騒動』:監督曽根純三、1925年11月13日公開 - 目明し伝平 ※「東健次」名義
  • 『義士と侠客』:指揮・監督マキノ省三、1925年11月20日(同年11月1日説もあり)公開 - 釣鐘権兵衛 ※「東健次」名義
  • 『復讐と兄弟』:監督勝見正義、1925年12月18日(同年12月13日説もあり)公開 - 大和田荘九郎 ※「東健次」名義
  • 『延宝奇聞 美丈夫 前篇』:監督二川文太郎、1926年1月14日公開 - 旗本岡鳶六郎左衛門
  • 『延宝奇聞 美丈夫 後篇』:監督二川文太郎、1926年1月22日公開 - 旗本岡鳶六郎左衛門
  • 『怪人 狼 前篇』:監督富澤進郎、1926年2月15日公開 - 近江僧内
  • 『修羅八荒 第一篇』:総監督マキノ省三、監督二川文太郎・勝見正義・橋本佐一郎、1926年2月15日公開 - 怪しき旅人
  • 『孔雀の光 第一篇』:総指揮マキノ省三、監督沼田紅緑、1926年2月26日公開 - 目明し文吉
  • 『修羅八荒 第二篇』:総監督マキノ省三、監督二川文太郎・勝見正義、1926年3月3日公開 - 怪しき旅人
  • 『孔雀の光 第二篇』:総指揮マキノ省三、監督沼田紅緑、1926年3月19日公開 - 目明し文吉
  • 『外道』:総監督マキノ省三、監督沼田紅緑、1926年4月3日公開 - 剣客東啓之進
  • 『怪人 狼 中篇』:監督富澤進郎、1926年4月21日公開 - 近江僧内
  • 『大晏寺堤』:総指揮マキノ省三、監督橋本佐一郎、1926年4月26日公開 - 加村宇田右衛門
  • 『怪人 狼 後篇』:監督富澤進郎、1926年4月30日公開 - 近江僧内
  • 『孔雀の光 第三篇』:監督沼田紅緑、1926年4月30日公開 - 目明し文吉
  • 『裁かるゝ者』:総監督マキノ省三、監督勝見正義、1926年5月14日公開 - 岡つ引鉄蔵
  • 『花嵐』:監督村田正雄、1926年6月4日公開 - 弁慶の五郎兵衛
  • 転落』:監督井上金太郎、1926年6月18日公開 - 家臣宇田川
  • 『修羅八荒 解決篇』:総監督マキノ省三、1926年9月3日公開 - 日下部
  • 『清河八郎の死』:監督橋本佐一郎、1926年9月10日(同年9月8日説もあり)公開
  • 『蠅』:監督中根龍太郎、1926年9月24日(同年9月20日説もあり)公開
  • 『仇討奇譚 勝鬨』:総指揮マキノ省三、監督勝見正義、1926年9月24日公開 - 大井仙八郎
  • 『佐平次捕物帖 新釈紫頭巾 前篇』:総監督マキノ省三、監督沼田紅緑、1926年10月15日公開 - ニセ紫頭巾
  • 『佐平次捕物帖 新釈紫頭巾 後篇』:総監督マキノ省三、監督沼田紅緑、1926年10月22日公開 - ニセ紫頭巾
  • 鳴門秘帖 第一篇』:総指揮マキノ省三、監督沼田紅緑、1926年11月7日公開 - 天堂一角
  • 鳴門秘帖 第二篇』:総指揮マキノ省三、監督沼田紅緑、1926年11月21日公開 - 天堂一角
  • 『正剣邪剣』:総指揮マキノ省三、監督金森万象、1926年12月22日公開
  • 影法師捕物帳 前篇』:監督二川文太郎、1926年12月31日公開 - 銀釜の鉄五郎
  • 『涙』:総監督マキノ省三、監督井上金太郎、1927年1月28日公開 - 幡野嘉十郎
  • 鳴門秘帖 第三篇』:総指揮マキノ省三、監督沼田紅緑、1927年2月9日公開 - 天堂一角
  • 『心中雲母阪』:総指揮マキノ省三、監督井上金太郎・橋本栄一、1927年3月18日公開 - 山田淳太郎
  • 『新生の妻』:監督高見貞衛、1927年4月15日公開 - 魚場の真次
  • 鳴門秘帖 第四篇』:総指揮マキノ省三、監督沼田紅緑、1927年5月27日公開 - 天堂一角
  • 鳴門秘帖 第五篇』:総指揮マキノ省三、監督沼田紅緑、1927年6月3日公開 - 天堂一角
  • 『恋の守備兵』:監督中根龍太郎、製作勝見庸太郎プロダクション、1927年6月10日公開 - 富める貴族
  • 鳴門秘帖 第六篇』:総指揮マキノ省三、監督沼田紅緑、1927年7月14日公開 - 天堂一角
  • 鳴門秘帖 最終篇』:総指揮マキノ省三、監督沼田紅緑、1927年9月15日公開 - 天堂一角

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『日本映画興亡史 マキノ一家』ワイズ出版、2000年、24頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『日本映画人改名・改称事典』国書刊行会、2004年。

関連項目

外部リンク




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